さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

アラン島の一本道を歩く

2011年04月26日 | アイルランド



 アラン島は大きな岩礁。人間が暮らすには大変厳しい大自然の環境を楽しむといえば楽しめようが、特に見るべきものもない、と言えばそういうことになる。でも例外はある。宿から一時間も歩けば、大西洋を望む島の西海岸に、優に100mは超える垂直の断崖絶壁があるのだ。だからアラン島に来た人は、まず例外なくその断崖を見に行く。わたしも宿で朝食を摂ったあと、とぼとぼとその絶壁へ向った。

 アラン島はほとんど平坦なので、360度が見渡せる。そしてその景色はどこを向いてもほとんど変わりがない。岩肌と雑草ばかりである。こういうところをひたすら歩くと、徒歩という手段が大変遅く感じられる。景色が変わらないので、移動している実感が湧きにくいのだ。アリンコにでもなったような気分。分刻みで時間に追われる、世界一、いや人類史上もっともタイトで忙しい TOKYO という大都会に生まれ育ったわたしにとって、景色の変わらない一本道を、とぼとぼと歩く一時間は途方もなく長く感じられるのであった。

 だから考える。風に吹かれ歩きながら、いろいろなことを考える。自分はいま何をしているのか、と。ヨーロッパから見れば日本は「極東」の離島だが、逆に極東から見れば、ここアラン島は「極西」の離島だ。ジャンボ・ジェット機、地下鉄、船、バス、列車、プロペラ機を使って、ここまで何日もかけてやってきた。シングのように有閑階級でもない身分で、なぜこれだけの金と時間をかけて、こんな岩と雑草ばかりの島を歩いているのか?

 シングが来たから、もしくは極西最果ての地だから?それだけでは全く不十分だ。シングはとりわけ好きな作家というわけでもないし、日本から見れば「最果ての地」は他にいくらでもある。ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸が触れ合うジブラルタル海峡や、世界一周の旅の新しいページを開くことになった、大西洋と太平洋の交わるところ、南米のマゼラン海峡といったところのほうが、よほど壮大なロマンをかきたてられるのではなかろうか?

 結局アラン島へ来た理由は、自分が来たかったから、としか言いようがない。そして「たまたまのタイミング」とも言えようか。旅の目的地の選択は恋愛と同じで、それは自分の「領分」なのかもしれない。そりゃあ他にも美しい人、ずっと魅力的な女性がいるかもしれない。しかし自分が知り合える範囲、身の丈に合った人は限られている。別に「妥協」というわけではない。目の前の人だって、とても素敵だ。岩と雑草ばかりの島だって、じっくり二人きりで過ごしてみると、言いようのない魅力が見い出せるものなのだ。あるときその人がそこにいたから。そしてたまたま目が合って惹かれあったから・・・。

゜益゜ 

 しかしこのニオイは・・・ 馬糞だw(゜゜)w 断崖絶壁へ向う道は一本だ。あらゆる移動はここを使う。馬車も通る。馬はトイレを使わない。ちょっと「お花を摘みに」と道を離れる気遣いをするわけもない。いや足を止めることもしないでボタボタとたれ流す。したがって道には数多くの馬糞が落ちているのだ。

 時間を経たやつはペッタンコに乾いている。問題はまだ水分をたっぷり含んだ新鮮なやつだ。これがかなりの悪臭を放っており、不幸なことに風向きは一本道に限りなく平行で、向かい風であった。障害物は何もないので、数十メートル先に落ちているやつが放つ毒ガスが、俺の鼻を直撃で襲ってくる。近づくにつれてその濃度は増すので、たまらず小走りで馬糞を通過する。通過した瞬間に新鮮な空気を吸い込むことができるのだ。

 しかし馬糞はひとつふたつではなかった。しばらく歩けばまた落ちている。そのたびに小走りをするのも馬鹿々々しくなってくる。しまいには根負けだ。

 このようにして、人は少しばかりのロマンチシズムと、繰り返しの厳しい現実に慣れてゆくのかもしれない