いよいよ絶壁に到着した。高さ100mは優に超える断崖だ。垂直どころではなく、上の部分が前にせり出している。(突然ガラガラと一部分が崩落することはないのか?)何人か人がいて、若者がうつぶせになって崖から顔を出し、下をのぞいている。落ちるやつはいないのだろうか。俺も勇気を出して、ほんの少し顔を出してみる。はるか下方では、波が岩に打ち寄せ、白い泡となって砕けている。落ちるのにはいったい何秒間かかるだろうかな、なんて想像して、吸い込まれてゆくような気持ちになってしまうw(゜゜)w
小船が一艘浮かんでいるのが見えた。漁でもしているのだろうか。大西洋の荒波に翻弄され、濁流のなかの木の葉のように激しく揺れている。あれほど縦になったり横になったりして、よくも浮いていられるものだなと感心する。そしてシングの描いた100年前のアランの生活を思い出した。
ながい間、島民は「カラハ」と呼ばれる小船を使っていた。それは木の骨組みに麻布や牛皮を張って作られたものだ。岩場だらけのアラン島では木材がないので、流木を使用したりしたとか。そんなもので、あの大西洋の荒波に出て行ったのかと思うとゾッとする。まだサビついたオンボロプロペラ機のほうがましというものだ。シングは度々そのカラハに乗った。その情景描写を紹介しましょう。
昨日乗ったのは、キルナロンへ行ったときに破損したカラハだった。新しくタールを塗って繕ったところが日光で熱した船卸台に付着した。われわれは「カピーン」といってスープ皿のような木の浅い器で水を掻き出し、いろいろ苦心の末、やっと心配がなくなり乗り出した。しかししばらくすると、足元に水が噴き出しているのを発見した。繕いの場所が間違っていたのだ。今度は麻布がない。マイケルは私のポケットハサミを借りて、驚くほど手際よく自分のシャツの裾からフランネルを四角に切り取り、オールから切り取った木片にしっかり結びつけて、その穴へ押し入れた。
こんな騒ぎの間に、われわれは岩の縁まで潮に流されていた。すると彼はオールを水に入れて、波に乗るように向きを変えた。さもなければわれわれは波に投げつけられて沈んでしまったことだろう。
麻布で作られた船底に穴が空いて、そこから水が噴き出してくるのを木のヒシャクでせっせと掻き出す。公園の池ならまだしも、激しい潮流と荒波が踊り狂う外洋ですぞ。
瀬戸には非常な潮流が流れていたので、島陰から出ると、激しく揺れたり跳び上がったりした。ある瞬間、われわれは谷底に下って行くと、緑色の波が頭上に渦巻いてアーチを描く。するとたちまち空中に跳ね上げられて、はしごの上に乗っかったように漕ぎ手の頭を見下ろしたり、あるいは重なり合う白い波頭の向こうにイニシマーン島の黒い断崖を眺めたりした。
遊園地のどんな絶叫マシーンでも、これほどおっそろしい乗り物はありえないだろう。唯一の交通手段として船に乗るしかない小さな島で、それに乗るたびに命がけだ。だから難破することによる死亡率は極端に高かった。
とにかくひっきりなしにカラハが難破して次々に人が死んでゆく。シングが島民に聞いたところによると、あるときは木製の食器を作る親子が一緒に難破したため、長い間この島で食器を供給する職人がいなくなった時期があるらしい。棺おけに使用するために貴重な木材の用意が間に合わなくなったり、岩場で土が極端に少ないために埋葬する場所がなく、墓場に埋めようとすると次々に他の遺体や白骨が出てきてしまうような悲惨さであった。
そんな環境を目の前にし、シングは後に『海へ出る人々』という劇を書いた。舞台はもちろんアラン島。
海から帰ってこない息子を待って、老母が疲れきって眠っている。神父がやってきて、はるか北の海で見つかった遭難者の服と靴下を姉妹が受け取る。それが間違いなく兄のものであると確認するが、すっかり弱っている母にそれを告げることができない。そして最後に残った末の息子もいま、ついに海に出ようとしているのだ。この老母には6人の息子がいた。老母の父、夫、そして息子たちも次々と海で遭難した。遺体が見つからなかった者、打ち上げられ入り江で発見された者、板に載せられて運ばれてきた者、今回は着ていた服だけが運ばれてきた。すべてこの老母の悲しく辛い思い出として心に刻まれている。そしてついに最後の息子も、いくら止めても海へ出て行き、そして死んでしまう。先日行方不明になっていた兄のために用意していた棺の板はあったが、疲れきった老母には、釘の用意ができていなかった・・・。
つらく悲しいお話です。断崖絶壁から見た海には、遭難した数知れない島民たちの魂がただよっているのです。