さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

アラン島の生活

2011年04月25日 | アイルランド



 シングという作家はアイルランドの首都ダブリン出身の金持ちの息子、すなわちお坊っちゃんである。ダブリン大学を卒業したのち音楽家になろうと思ってドイツへ行き、その後は作家になろうと思ってフランスへ行き、3年ほど過ぎてからイタリアへ渡っています。何をやって生きてゆこうかという、モラトリアムが長く続いていたようです。ヨーロッパをあちこちと旅行し、27歳のときに初めてアラン島を訪れています。経済力が許す自由民ですね。

 その後フランスへ行ったときに、アイルランドを代表する作家になっていたイエイツに会いました。イエイツはシングに作家としての才能を認め、彼にアラン島へ渡り、そこの質朴で原始的な生活を題材に作品を書いてみたらどうかと助言したのです。シングは勧められた通りにアラン島に滞在し、その暮らしを書きとめました。広くヨーロッパを旅したのちに、自国にある辺境の島に、作家としての着目点を見い出したのです。



今年わたしが見る島の生活は、ひどく暗い。太陽はめったに照らない。
毎日冷たい西南の風が、あられまじりの時雨や厚い雲を伴って、
断崖を越えて吹き荒れている。
~『アラン島』より

 シングの見たアラン島は、厳しい天候のみならず、その生活環境も驚きの連続だったようです。島全体が大きな岩礁のようなものだから、農作物の収穫はほとんど望めません。それでも島民は生きてゆくために、畑を作ります。それは岩の間に溜まった、風が運んできた土埃をかき集めて作るというものであった。

 
ある家の男たちが新しい畑を作った。わずかばかり土のあるところが、庭の堀際と、もうひとつはキャベツ畑の隅にあった。爺さんと一番上の息子が、金鉱で働いている人のように細心に土を掘り出し、マイケル(シングの友人になった若者)がそれを荷籠に入れて――この島には車というものがないので――地所の囲われた一角にある平たい岩の上に運び、その所で砂と海草を混ぜて石の上の一面に広げた。じゃがいもの栽培は、島ではだいたいこんな畑でなされる。そのためにはかなりの金を払ってだ。そして季節が日照り続きのとき、よい収穫の望みはほとんど常になくなってしまう・・・日照りはまた水の欠乏の原因となる。島のこちら側にもいくつかの泉はあるが、暑い日はあてにすることが出来ない。この家へ水を支給するのは女の手ひとつで水桶に入れて運ばれるのだ。

 洗濯も大変だった。なにせ水があまりに少ない。しかたなく海水で洗うと、塩の粘りけで服はいつも湿っており、リューマチの原因になったそうだ。暖をとる燃料は、泥炭もしくは干した牛糞である。厳しい、あまりに厳しい生活だった。しかしつらく厳しい生活が「不幸」というわけではない。若い娘たちは笑い、青年は外の世界に夢を持っていた。豊かな国に住んでいる者たちが想像するほど、島民は不幸な生活を送っていたわけではないのだ。

 これが約100年前にシングが見たアランの生活だ。ちょうど夏目漱石が英国に留学していた頃である。

 現在はリゾートホテルも建っている。貸し自転車もあり、夏には様々な国から観光客が訪れる。ヨーロッパの最西端に残っていた原始生活は消え、いまはそのなごりを残すのみである。


アラン島上陸

2011年04月24日 | アイルランド



 ヨーロッパの離れ島国である英国のロンドンからアイルランドへ渡り、東海岸の首都ダブリンから大西洋側のゴールウェイへやってきた。そしてそこから小型飛行機でついにアラン島へ渡ってきた。今回の旅の、いよいよ最果ての地である。

  ただの空き地のような空港(?)から、宿のある村落まではだいぶ距離があるようだ。雑草がボソボソと生えただけの岩場が広がるこの島で、道に迷うことはありえない。これも風情と考え、とぼとぼと一本道を歩くことにした。

 途中で後ろからワゴン車が追いついた。飛行機に同乗した重量級のおばさま達を乗せている。運転手はいくらかの料金をもちかけて乗せようとしたが、断った。急ぐことは全くないし、疲れるような道のりではない。

 宿はゴールウェイで予約をすませてある。同行していた当時貧乏学生の友人がインフォメーションで交渉したのだ。しかしいきなり「一番安いとこで」と言ったのには絶句した。それもなんとひとり一泊700円である
w(゜゜)w ど・どれほどヒドイところだらうか・・・。

 到着してみると、別に汚いことはなかった。ユースホステルみたいな所だ。カップルだろうが有無を言わせず男女別になって4人部屋。さびれたシャワーとトイレは共同。おとなになってからこういうところはなー。シャワーはほとんど水で出が悪く、寒かった。トイレに入ると、入れ違いに出てきたドイツ人がばつの悪い顔をした。すると・・・

 なっ・流れてなひっ・・・ w(T益T)w 

 とにかく前のやつが置き去りにしたものを流そうとボタンを押すと、コップ一杯分ぐらいの水が出た。ひどく流れが悪い上に、タンクへの水の供給がチョロチョロチョロ・・・なのだよ。というわけで、ふたたびタンクが一杯になるのを待てばしばらくかかる。ドイツ人の後始末をするのに、なぜ私がこんなところにカンヅメにならなければいけないのだ・・・w

 英国やアイルランドのトイレは、だいたい流すときにタンクの上についたボタンを押し下げる。これがタンクの中のフタに直接連動しているのだ。つまりゆっくり押せばチョロチョロ流れるので、一気に押さないと水は勢いよく流れない。何度も使っているうちに慣れてくるが、「だるま落とし」のようなコツがいるのだ。せーの、ヒュッ!!!という感じでやらんといけんのだ。

 ドイツ人はわかっていなかったのだろう…。しかし出ていきたいのは山々だが、数少ない共同トイレのため、戻ってきたときにすぐに入れるかどうかわからない。事態は急を要する状況になっていたのだよ。。。

 水が一杯になるまで、少なくともじっくり待たないといけない(涙)。あせって失敗したらまた最初からになってしまうぢゃないかよ。待っている間にトイレちゃんの声が聞こえてくるようではないか。

 あなたったら、いつもそわそわと私のところにやってきて、こっちが他の男に忙しいときには涙ながらに懇願してくるわよね。
 そしてふたりきりになった途端にいきなりパンツを下ろして乗っかってくるけど、そのくせやるだけやったら汚いものでも見るように、いつもさっさと行ってしまうわね。
 汚いのはあなたが出したものよっ!私じゃないわっ!!! 簡単に水に流せると思ったら大間違いよっ。責任とりなさいよっ!!!

・・・って、これわ俺の責任ぢゃなくて、ドイツ人のやつなんだけど・・・(゜゜)

 さて部屋。こちら3人組なので、4人部屋を占領できるかとあまい期待をしていたが、後ほどひとり入ってきた。西洋人だが国籍は不明。東洋人3人の部屋に入ってきたときには絶句した様子だった。気味が悪いかもね^^;

 かなり緊張しているようだったので、英語で話しかけるとホッとしていた。握手をかわし、若干の世間話を交わすことになった。そいつは旅先で知り合った女性の連れがいるのだが、あいにく男女別の相部屋システム。少し金を払って違うところに泊まればいいのになあ。こういった宿に泊まる連中は、驚くほど貧乏なのである。


オンボロ機でアラン島へ

2011年04月23日 | アイルランド



 ゴールウェイは特徴のない街だった。とある街角を通ると、異様な雰囲気のオヤジたちがたむろしていた。目つきが悪い。出入りしているところを見てわかった。「馬券売り場」なのだ。アイルランドは競馬が盛んなのである。ああなつかしや。浅草の場外馬券売り場と全く同じ空気だ。貧乏人ほどなけなしの金を失うところ。そして世の中に対する恨みと敵意を増殖する悲しい場所なのである。

 
翌日には大西洋に浮かぶアラン島へ渡る。離れ小島だ。実に大きな岩礁といってもいいような辺境の離島なのである。ジョン・ミリングトン・シングというアイルランドの作家が100年ほど前に滞在し、その作品に描いた場所なのだ。連絡船で渡るのが普通の方法だが、ダブリンへ渡る連絡船で揺れる航海にはすっかりうんざりしていたから、奮発して空路で行くことにした。といっても、小さいプロペラ機なのだが。

 チケットを買うと、ワゴン車でゴールウェイの街からかなり離れた海岸の空港へ連れてゆかれた。といっても、小学校の校庭ぐらいの大きさなのであるが。乗客は9人。パイロットを入れて10人乗りだ。飛行機が小さいのは構わないが、ひどくオンボロだ・・・w(゜゜)w 機体の継ぎ目が錆びている。ネジが錆び落ちているところがある。少々不安になった。

 パイロットが乗客を並ばせ、ひとりひとり座るべき席の指示をする。どうやら機体のバランスを保つため、体重をみているのだ。次々に客は座っていったが、わたしは最後に運転席の横を指示された。これが操縦席だった。となりと同じように、操縦桿とスロットルが並んでいる。飛行中にパイロットが心臓発作を起こした場合、わたしが操縦することになるのだ。栄誉あるこの席に座るべく選ばれたのは、非常事態に操縦を任せるためなのか。体重が一番軽そうだったからか。唯一子供に見えたせいなのか・・・。

 滑走路は異様に短い。こんなに短くていいのかというくらいだ。しかもプロペラ機が走ってゆく方向は大西洋が待っている。プルプルプル・・・とプロペラは回り、飛行機は走り出した。滑走路はすぐに終わりに近づき海が見えたが、この程度で飛ぶものか(?)と思うようなスピードでプロペラ機はフワリと浮いた。何もない海面の上に飛び上がったので、前に進んでいる実感がない。そう、まるで宙に舞い上がる凧に乗ったような気分だ。

 飛行機は快調に飛んでいた。操縦席なので前方の見晴らしは最高だ。海面から50mくらいの高度だったであろうか。この程度なら不足の事態に陥って着水しても死ぬことはなさそうだ。ネジのとれたオンボロプロペラ機が空中分解した場合の不安が払拭されると、短い空の旅を操縦席に座って十分に満喫したのであった。


ゴールウェイへの暴走バス

2011年04月22日 | アイルランド

    
 スライゴーから南へ下って次の目的地、ゴールウェイへ向う。ここは長距離バスで移動だ。スライゴーを出発すると、まだ街中を走り出したすぐなのに、おばあさんが手を挙げてバスを止める。特に停留所でなくともバスは止まるらしい。

 入り口のステップを登るのに大変時間がかかる。1段に1分のスピードだ。運転手の脇に立って手すりにつかまると、バスは走り出した。座らないのか???と疑問に思うか思わないかのうちに、それは解消した。約50mも走ったかと思うと、バスは停車し、おばあさんは降車した。また下車するのに3分停車だ。もし座っていたら、10分停車になっていただろう。買い物袋を持っているところを見ると、自宅からすぐ先の雑貨店で買い物をしたらしい。それに合わせて一日数本の長距離バスを使っていたのだ・・・。これから3時間を越える長旅をするというのに、いきなり気が遠くなる。

 しかしバスは街を出ると、いきなりスピードを上げた。ゆるやかなカーブと丘が続く長い道のりを、運転手は攻めに攻めた。なんとカーブではタイヤを鳴らし(マジ)
、直線ではフルスロットル。エンジンは激しいうなり声をあげた。反対車線に入り普通乗用車を次々に追い越してゆくハンドルさばき。ほとんど逃亡犯の暴走だ。カーブでは耐えられないほどの遠心力が襲いかかり、道路が上下するところでは体が宙に舞う。後部席に陣取ったのが間違いだった。他の乗客はすべて前方から前に詰めて座っている。そういうことだったのか・・・。

 それでも時折バスが街なかに入ると、スピードは下がった。老人がカタツムリのように道路を横切っているからだ。道端では三角形の道路標識が立っており、“Old
People”と表示され、シルエットで老人が杖をついている。日本にもありますよね。ランドセルを背負った子供のシルエットで「通学路」というやつ。高齢化が進む日本にも「老人」の標識が登場する日が近いかもしれない。

 ところでケルト文化の民話には、よく妖精が出てくる。日本のオバケと違って生きている人間をおどかすこともなく、それほど恐れる必要はないらしい。しかし妖精を怒らせてしまうと、いたずらやしかえしをされることがあるという。妖精はいつも決まった道を使うので、そこを人間が横切るときには、邪魔をしないように気をつけなければならないそうだ。そこでとある場所には、「妖精注意」という道路標識があるとか。どんな絵が描かれているのだろう?それを見つけるのを楽しみにしていたのに、このバスのスピードでは外を眺める余裕を与えてはくれなかった。運転席に、「暴走注意」の標識だろうよ…。



スライゴーの近くにあるイエイツが愛した「ベンブルベン」という山。高台のような形をしていますね。


アイルランドでは山岳地帯はほとんどなく、このような丘 or 山があります。


西海岸のスライゴーへ

2011年04月21日 | アイルランド

  
                    スライゴーの街角で見つけたイエイツの銅像。

 ダブリンから列車に乗り、一気にアイルランド島の反対側、西海岸のスライゴーへ向かう。ここはアイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イエイツゆかりの地だ。地図で御覧の通り、ヨーロッパから見れば最果ての地。ここにはギル湖という美しい湖があり、そこにイニスフリーという小島が浮かんでいる。ロンドンで暮らしていたイエイツはホームシックになったときに、ここの風景を思い出しながら、こんな詩を詠いました。


イニスフリーの湖島

僕は立ち上がり、いま向おう。イニスフリーへ向うのだ。
そして、そこに土と小枝で作った小さな小屋を建てるんだ。
そこには九列の豆を植え、蜜蜂の巣箱を作ろう。
そして蜂の飛び交う片隅で、ひとり静かに暮らすんだ。

そこでなら安らぎも得られるだろう。安らぎはゆっくりとしたたり落ちるものだから。
――夜明けのヴェイルから、こおろぎの鳴く場所へ降り注ぐものだから。
真夜中には月が輝き、昼には太陽が真っ赤に輝く。
夕暮れには、ムネアカヒワが羽ばたく音でいっぱいになるだろう。

僕は立ち上がり、いま向おう。僕には夜も昼も、
その湖の水が、静かに岸辺に打ち寄せるのが聞こえるからだ。
都会の街路や灰色の歩道に佇むときも、
その水の音が、心の深い奥底まで聞こえてくるからだ。

 イエイツは、「女性に対する欲望などを乗り越えて、故郷に帰って隠者のように暮らしたいと思った」と言っています。どんな経験をしたのか、だいたい想像つきますね~。きっとつらい思いをして、田舎に帰りたくなったのでしょうね。

 
彼は晩年「塔」と呼ばれる古城を買って、そこに住みました。前回紹介したジョイスも塔に住んでいましたね。憧れますねえ(^益^)・・・。そういえば、女性でそういう暮らしを夢見る人は、聞いたことがありませんね・・・。


ギル湖で小さな遊覧船に乗りました。うら寂しいところでした。




これがイニスフリー島。ここでわずかな豆と蜂蜜だけで暮らすのかあw
短い夏の間だけならいいかもしれません。
長く寒い冬はどうするのでしょうねw(゜゜)w