大田区萩中辺り一帯に浄土真宗西本願寺派の寺院が7ヶ寺の「寺町」が形成されている。7ヶ寺に共通することは大正12年(1923)関東大震災後に築地本願寺中から昭和初期に掛けここ萩中に移転してきたこと、本尊は木造阿弥陀如来立像であることである。まず訪れたのが①インド様式の鉄筋コンクリート造りの「本堂」が特徴の「潮留山延徳寺」、次に②四方形造りの「本堂」がある「龍雲山報身寺」、そして③建長年間(1249-55)に親鸞の子「善鸞」が品川高輪台に開創したという「高輪山善永寺」、④山号から都内麻布谷町に創立の「麻谷山福称寺」、インド様式の「本堂」は珍しい。⑤歌川豊広作の「観世音菩薩絵馬」の文化財を有する「法照山正覚寺」、⑥治承3年(1177)出羽国庄内鶴岡に創建の「東照山真光寺」、⑦越後国柳瀬に創建「四谷山妙覚寺」、後に武蔵国、四ツ谷、築地へと移転している。今回一度に7ヶ寺を巡る機会を得たが、これも修練の一つかも知れない。(1708)
杉並区和泉に薩摩藩島津家の江戸菩提寺、曹洞宗の寺院「泉谷山大圓寺」(大円寺)はある。慶長8年(1603年)、徳川家康が開基となり赤坂溜池に徳川家の「香華院」として創建。寛永18年(1641)に江戸の大火にて諸堂を類焼し跡地は御用地として召し上げられた。その代地として伊皿子に寺地を拝領して明治41年当地へ移転の際に「大渕寺」から「大圓寺」に改号した。本尊は釈迦如来。開山は諦厳桂察(武田信玄の弟)、この縁から飯野藩保科氏の菩提寺となる。この時に塔頭2院、大久保科・旗本五井、松平、坂井、本多、土方の諸家を檀徒として栄えた。寺号標を前に葵紋kのある重厚な「山門」を抜けると正面には島津家の十字家紋が彫られ威光を放つ「本堂」、境内には石像の仁王尊や寛永2年(1625)芝浦の海中から出現の潮見地蔵尊石像、また島津家の宝篋印塔・六地蔵尊があり、墓地には西郷隆盛の娘「菊子」など鹿児島県出身明治維新関係者の墓、益満休之助他75名が刻されている「明治元年戊辰の役戦死者の墓」、横山安武・八田知紀等の墓がある。徳川家、島津家との深い縁ある高格式の寺院であった。(1708)