相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

寒川神社歴代神主の菩提寺である「龍寶山興全寺」

2020-07-22 13:45:36 | 寺院
座郡寒川町宮山、寒川神社の東側に位置し、寒川大明神を守護神とする神仏混淆の寺院であり寒川神社歴代神主の菩提寺で徳川家康公とも縁深き曹洞禅宗寺院「龍寶山興全寺」はある。創建は天正年間(1573-1592)。三田清源院第五世「英顔麟哲」(1597年寂)が開山。堂内には本尊の釈迦如来像、相模地蔵菩薩、半僧坊、龍寶山弁財天を奉安。寒川神社の社務所側からすぐのところに構えられた「山門」を抜けると正面に入り母屋づくりの「本堂」(平成5年再建)、右に「庫裏」(寺務所)がある。本堂前に置かれたいくつかの蓮鉢では古代ハスが開花、たくさんの蕾をつけている。本堂左の境内には南北朝時代の「宝筐印塔」二基、「相模子安地蔵尊」「とんがらし地蔵尊」を安置している。また人々の食生活に貢献した家畜に感謝して建立された「畜霊碑」も建てられている。(1907)
 
 
 
 
 


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平塚宿本陣菩提寺であった「福生山宝善院」

2020-07-22 08:06:26 | 寺院
平塚市平塚に江戸時代300年を通じて平塚宿菩提寺として平塚の中心的存在であった東寺真言宗寺院「福生山能満寺(宝善院)」はある。創建は建久年間(1190年〜1199年)。本尊は不動明王。徳川家康公が江戸城入府直後の慶長6年、東海道五十三次の宿駅制度制定の際、平塚宿の目印として三河以来の譜代の家来「加藤・成瀬」の両家を平塚宿の本陣家とし、当寺を「本陣菩提寺」、平塚宿の寺院方差配寺と定め、広大な寺領を拝領したことで江戸時代に最も隆盛を極めた。平塚駅より西方へ15分ほどの通りに「なまこ塀」で囲われた寺域の正面に構えられた空海筆山号額の「山門」を抜けると境内正面にコンクリート造りの天井画が美しい「本堂」、その右に「庫裏」がある。当寺の目玉は本堂地下入り口から墓地南通路下を通って歴代住職墓地に至る「四国八十八ヶ所地下霊場」である。その他境内には天王社、稲荷社、天神社の境内社、さらに虚空蔵堂、永代供養墓、万霊塔、ふたたび大使像、ぼた餅地蔵 宮本武蔵ゆかりの瓦、日本最初の「鉄道レール」が保存されている。墓地周りは築地塀に似た塀で囲われている。(2007)
 
 
 
 
 

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