相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「昭和橋」からの「相模川」の雄大な流れ!!

2020-09-23 17:18:38 | 川・堰
清く豊かに川は流れる母なる川と言われる「相模川」はその源を富士山(標高3,776m)に発し、山梨県内では「桂川」と呼ばれ、山中湖から笹子川、葛野川などの支川を合わせ、山梨県の東部を東に流れて神奈川県に入り「相模川」と名を変え「相模ダム」、「城山ダム」を経て流路を南に転じ、神奈川県中央部を流下し、中津川などの支川を合わせて相模湾に注ぐ幹川流路延長113km、流域面積1,680k㎡の一級河川である。流域の土地利用は山地等が約73%、水田や畑地等の農地が約7%、河川・湖畔が約3%、宅地等の市街地が約12%となっている。下流部の厚木市等の市街化地域には人口が集中している。富士箱根伊豆国立公園および丹沢大山国定公園と2つの県立自然公園に指定されている等、豊かな自然環境に恵まれている。また相模川の水は上流部は主に発電用水等として利用され、中下流部では農業用水、水道用水等として利用されており、現在では神奈川県の給水人口の約6割に水道水を供給するなど、生活を支える重要な川である。昭和橋は神奈川県厚木市上依知と相模原市南区当麻とを結ぶ相模川に架かる橋であるが、数百m上流「新昭和橋」(昭和54年竣工)が架かる。令和元年東日本台風の被害で休止していた河川敷左手にある5面のグラウンドを持つ広場は復旧が終わり、また利用できるようになったということから大勢の人が集まりどうやら軟式野球かソフトボールが行われていた。川では船も出て、陸では4、5名の釣り師が盛んに竿を垂れていた。( 2009)
 
 
 
 
 


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「星下りの奇端」伝説3寺の一つ「宝塔山蓮生寺」

2020-09-23 09:54:29 | 寺院
厚木市中依知に日蓮の「星下りの奇端」を伝える三寺(妙伝寺、蓮生寺、妙純寺)の一つ、旧本山は中山法華経寺の日蓮宗寺院「宝塔山蓮生禅寺」はある。当寺は度々火災に遭い古記録等消失により創建年代は不詳である。文永8年(1271)日蓮上人が佐渡へ流罪になる時、ここ「本間六郎左衛門」の館に28日間滞在の折、9/13中秋の名月の夜、聖人が「法華経行者に守護の利生を顕わし給え」と諌暁し給うとなんと明星の如き大星が下がって梅の木に掛かり庭前に奇端を表したという「星降り」の奇跡が起った。文永16年赦罪後に再度立寄り「宝塔山蓮生寺」を創建した。本尊は一塔両尊四菩薩。国道129号線沿いにある「蓮生寺バス停」から右折すぐ「寺号標」が建つ。50mほど参道の先に広大な寺域がある。左正面に重厚な入り母屋造りの「本堂」、本堂前に「日蓮上人像」が祀られている。「本堂」右側に「庫裏」があり、境内の墓域には武田氏の家臣、江戸幕府では旗本であった「小幡景憲」が眠っている。手入れが行き届いた広く美しい境内より日蓮上人は安房の国に向かって両親の追善供養をしたと伝えられている。(1909)







 

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厚木依知郷の総鎮守「依知神社」

2020-09-23 09:39:53 | 神社
厚木市依知、相模川に架かる「昭和橋」を渡った袂に厚木依知郷を護る総鎮守社とされる「依知神社」は鎮座している。創建年代等は不詳であるが社伝によると古くは「赤木明神社」と称し、鎌倉幕府二大将軍頼家が創建。旧社領は源頼朝よりの寄進と伝えられ、境内では時々競馬も行われ、祭典には金田まで神輿が渡御する依智郷の鎮守社として祀られていたと伝わる。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領1石斗の御朱印は天正十九年賜を拝領、上依知村の鎮守として祀られ、明治6年依知神社と改称、村社に列していた。祭神は磐筒之男命。石鳥居を抜けると社殿、神楽殿(反対側)があり境内社が二つある。また当社には頼家が再建時植えたとされる2本の「大イチョウ」が道路を挟んだ反対側にある。厚木市指定天然記念物に指定、神奈川県名木百選にも選ばれている。樹高は36m/35m、目通り幹囲は6.8m/5.5mである。秋には黄金色に輝く黄葉時には大勢の人が訪れる。寛文年中大洪水の為、境内を大きく崩壊。この「昭和橋」建設及び国道(129)が造られ社域&境内は分断された。(2009)
 
 
 
 
 





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