相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

京都知恩院の末寺「永劫山慶元寺」 

2015-11-28 08:21:53 | 寺院
世田谷区喜多見に京都知恩院の末寺、浄土宗寺院「永劫山慶元寺」はある。創建は文治2年(1186)、本尊は阿弥陀如来。当寺は江戸太郎重長が現在の皇居周辺に天台宗寺院「岩戸山大沢院東福寺」として創建、室町時代に江戸氏が現在地に居を移す際改宗し寺名も「永劫山華林院慶元寺」とした。再建時、寛永13年(1636)徳川家光より寺領十石の御朱印地を賜り、以後歴代将軍より朱印状を賜った。杉林に覆われた長い参道の先にある「山門」を抜けると真正面に区内最古の「本堂」がある。境内には「鐘楼」、「薬師堂」、「三重塔」が建ち並ぶ。墓所の一角に「江戸氏累代の墓」があり、その他喜多見古墳群中の慶元寺三号墳から六号墳まで四基の古墳が現存している。当寺は多摩川三十三ヶ所観音霊場4番札所である。(1511)


















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旧喜多見村の鎮守=氏神様の「喜多見氷川神社」

2015-11-27 13:20:08 | 神社
世田谷区喜多見に旧喜多見村の鎮守で三所明神社のひとつ「喜多見氷川神社」はある。創建(伝)天平12年(740)、室町時代以前と推定される。主祭神は素戔鳴尊、配祀神は天照大神、稲田姫命である。「一の鳥居」の右横には「戦没者慰霊碑」があり、鳥居を抜けると石燈籠が配された緑深い竹林や檜や杉の木立の長い参道が100mも続く。都区内では最古の「二の鳥居」を抜けると保存樹林地となっている広大な境内(神域)の中央正面に1990年に再建された流れ造りの「本殿」、入母屋破風造りの「拝殿」、拝殿右横に「社務所」、一番端に立派な「神楽殿」が建ち並んでいる。また境内社として稲荷神社・天神社・大山祇神社・月讀神社・出雲神社・大鳥神社・祖霊社の七つ宮が祀られている。社殿の裏には10メートルはあろうかと思われる神木椎の大樹、他古木があり欝蒼としている。静寂さの中に悠久の刻が流れている。(1511)










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相模原公園 メタセコイアが紅葉し始める!!

2015-11-26 10:28:16 | 紅葉
相模原市南区下溝に県立都市公園のひとつ「相模原公園」はある。当園の目玉といえば中央にあるフランス風庭園の両サイドに並んだ100本の「メタセコイアの並木」である。和名は「曙杉」だが、まだ緑色が多く煉瓦色というか真赤に紅葉というところまでには至っていないが少しずつ茶色に色づき始めた。青空に向かってまっすぐ伸びる相模原公園のシンボル「メタセコイア」もあと一週間もすれば昨年のように赤いメタセコイアの神秘的な姿を雄大な眺めを噴水の池面に映し出してくれるに違いない。(1511)










真赤に紅葉した昨年の様子

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「相模原公園」ボケの花が咲いている!!

2015-11-25 16:32:36 | 
相模原市南区下溝に四季を通じていろんな花が楽しめる「県立相模原公園」はある。イベント広場からクリーンハウスへ向かう前に少し囲われた花壇に蝋細工のような光沢のある花びらのピンクと白の「木瓜(ボケ)」の花が咲いていた。木瓜(ボケ)の花といへば通常春なのでちょっと季節外れ?ではと管理事務所に訪ねると11~12月に咲く「寒木瓜(カンボケ)」ということであった。バラ科の落葉低木で晩秋頃から葉より先に根ぎわよりよく分枝したトゲのある小枝に鮮やかな緋色や白色の五弁花が3~4輪まとまって咲くなんとも可愛らしい花である。花の緋色は「緋木瓜」、白は「白木瓜」である。秋から冬を彩る東洋の美しい花なので堪能しておきたいものである。(1511)










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北条時頼再建の「熊野山玉泉寺」

2015-11-25 08:26:41 | 寺院
狛江市東和泉に天台宗寺院「熊野山玉泉寺」はある。開創は永正元年 (1504)。現在の本尊の薬師如来であるが以前は「十一面観音」(行基作)を併安、更に「熊野権現」を祀り「熊野山観音院玉泉寺」と寺名を改めた。戦、水害で荒廃が進む中、鎌倉時代中期文応年間に北条時頼(1227~1263)が関東行脚の際に堂宇を再興。和泉多摩川駅東側にあり、かつては現在の駅まで広大な寺領を有していた。明治後半「和泉多摩川駅」新設時、寺領を都に譲り渡し現在の地に限られた寺域となった。その頃「山門」、「照隅殿」、「観音堂」、「帝釈堂」などが建て替えられた。五百年を超える歴史有する当山は多摩川三十三観音霊場の第19番でもある。(1511)










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