相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけてかつての「相模原台地」に造られた「畑かん水路」を活用した緑道で総延長5kmに及ぶ「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選ー」の一つ「さがみの仲よし小道」がある。この緑道沿いの随所に花壇があり四季の花で彩られる。北里大学前の「さがみ野仲良し小道」は今「アキノキリンソウ」の花で埋め尽くされている。「アキノキリンソウ」(秋の麒麟草)はキク科アキノキリンソウ属の多年草である。高さは70〜80cm程で8〜11月に総状の黄色い花を多数つける。若葉は食用可で水にさらした後和え物やおひたし、陰干しにしたものは薬用にもなるので厄介者ではなさそうである。(2410)
相模原市南区麻溝台に四季の花で彩られ市民のオアシスとなっている「相模原麻溝公園」はある。「センター広場」から「花の谷」へ降りる階段左側d斜面に植栽の「スイフヨウ」(酔芙蓉)が十数輪淡いピンク色の花を披露し始めた。まだまだたくさんの蕾が開花へスタンバイ中である。この花はフヨウ(芙蓉)の突然変異種で「八重咲きの花」を8~9月に掛けて咲かせるが、今月も下旬なのにまだ咲いてい―終焉間近である。この花は朝方は純白、時間とともに午後には淡いピンク色から夕方から夜にかけては紅色になる。まるで酒を飲んだ後顔色がだんだんと赤みを帯びる、酔っていることを意味している。この花は短命で「一日花」という儚さに諸行無常の教えを悟り、蓮の花に仏教の縁を重ねるのかもしれない。芙蓉は柔らかな花姿と1日で枯れてしまう儚さから、昔から美しい女性の例えとして使われている。(2410)
相模原市南区磯部勝坂に当地区の勝坂大尽と呼ばれた「中村家」の農地から大正15年(1926)に約5000年前の縄文時代中期の大集落跡が発見され関東地方の標式遺跡、国指定史跡となった「勝坂遺跡公園」はある。大山柏考古学者が発掘・発見の縄文土器は立体的な装飾の文様や顔面把手など希少特徴があり縄文時代中期の目安、貴重性が認められ「勝坂式土器」と命名された。同時に発見された多くの「打製石斧」も土を掘る道具と考えられ縄文時代において農耕の可能性を示すものとして注目を浴びた。昭和48年(1973)の発掘で発見された集落の一部2ha「勝坂遺跡D区」が昭和49年、55年、59年に国の史跡として順次指定された。D区の東方、谷を隔てた台地に位置する「勝坂遺跡A区」では平成17年(2005)の発掘調査で発見された集落の一部、磯部字中峰2097番1ほか3,797㎡が平成18年に新たに追加指定となった。勝坂遺跡周辺は起伏に富んだ自然の地形に緑豊かな斜面樹林や湧泉など、縄文人が長く暮らし続けた豊かな自然環境が今なお残っている。遺跡はA~Dの各区に分けられ、その総面積は5万㎡を超える。平成21年に「大自然の中の縄文時代を体感」できる「勝坂遺跡公園」が完成した。園内には縄文集落が再現され「土葺き竪穴住居」と「笹葺きの竪穴住居」の2棟と周辺には竪穴住居廃絶後の「窪地」、「縄文生活林」、「埋没谷」なども復元された。また公園西側「勝坂遺跡D区」の一角に海老名の「有鹿神社」の「奥宮」として有鹿比女命が祀られ鎮座する。この公園がかつての縄文人が農耕生活、暮をしていた場所かと思うと「古代ロマン」に満ち溢れている。(2410)
「勝坂歴史公園」の街路樹として10本ほどの「オカメザクラ」が植栽されている。地球温暖化、異常気象で今夏は特に猛暑〜酷暑で先月まで続いた。今月に入っても寒い位の日があったかと思うと30度近い夏日もあり、樹木たちも戸惑ってるのか、或は季節到来と感知したのか、40~50輪ほどピンクの花を披露、狂い咲き、フライング咲きである。通常は3月中旬~下旬に開花。地域や天候によっては2月下旬から4月上旬になる。早咲きのサクラの一つではあるが、こんなに早く咲くとはびっくりである。「カンヒザクラ」と「マメザクラ」を交配、逆輸入の桜である。花色が濃くて華やかで樹高が大きくなく街路樹のシンボルツリーとして使われるなんとも可愛らしい桜である。(2410)
相模原市南区磯部の鎮座する永平寺と總持寺を本山とし龍鳳寺末の曹洞宗寺院「金沢山勝源寺」の山門横に造られた畑地の一画で黄色の大きなラッパ状の花がぶら下がるように開花する熱帯花木の「エンジェルストランペット」が植栽されてる。品種によっては夜間、花から香りを放つ。熱帯植物だが寒さに強く、地上部が枯れても地下部から芽が出てまた開花する丈夫庭植えに適した植物である。大株になると一度に50~100輪ほどのたくさんの花を咲かせる。しかし強い毒があるので要注意の花である。(2410)