★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

伏石神社横の観音堂を訪ねる(香川の地蔵49)

2020-01-02 23:21:08 | 神社仏閣


この観音堂は、伏石神社の横にあって、もともと神仏分離の前は伏石神社のなかに一緒に祀られていたものである。由縁を書いた碑によると、明治二年に多肥西村の庵に移動した後、明治十年に前川八百造宅に移る。碑では、前川氏が毎日「白衣に紺色の袴をつけてお給仕をしていた様子」を記している。明治四十四年、溝渕氏が観音堂を個人で建立する。ちなみに、明治四十四年は、有島の「或る女」とか谷崎の「少年」の年だけれども、西田幾多郎の『善の研究』とか生田長江の『ツァラトゥストラ』の翻訳の年でもあった。昭和50年代に入って修繕。ちゃんと調査したら、江戸時代初期から元禄、江戸末期と幅広い時代のものと判明したそうだ。

となりの伏石神社も、日露戦争後にいろいろな塔や碑がにょきにょきと建っている。近代文学も明治40年代に爆発的に今の形を整えたが、ほかの文化もそうだったのかもしれなかった。