★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

文学の住むところ

2020-01-10 23:30:00 | 文学


また、あまたの声して、詩誦じ、歌など歌ふには、叩かねどまづあけたれば、此処へとしも思はざりける人も、立ち止まりぬ。居るべきやうもなくて、立ち明すも、なほをかし。
御簾のいと青くをかしげなるに、几帳のかたびらいとあざやかに、裾のつまうち重なりて見えたるに、直衣の後にほころび絶えすきたる君たち、六位の蔵人の青色など着て、うけばりて遣戸のもとなどに、そば寄せてはえ立たで、塀の方に後おして、袖うち合せて立ちたるこそ、をかしけれ。


寝殿造りに一度住んでみたいと思わせられるのが、この細殿のよさを語ったくだりである。

予備校時代は宿舎にいて、これがすごく独房みたいな部屋であった。ただでも頭が働かないのにひどく脳みそが萎縮した感じになったのを覚えている。わたくしがスランプになるときには、必ず、こういうコンクリートで固められた監獄みたいなつくりの建物にいたときである。それでも、まわりには、現代思想を語る連中とかがいて案外楽しかった記憶がある。ただ、語る場所がないのが不安であった。

大学とか大学院の時代で一番楽しかったのが、部室とか誰かの部屋で文学について雑談を延々する経験である。わたくしは、大学時代には「めぞん一刻」のような下宿に住んでいた。木造で廊下の両側に部屋があるタイプである。三年生までいたところは賄い付きで、体育会系の連中と一緒に住んでいた。文学の話はあまりできなかったが、酒盛りが廊下にはみ出し、確かに清少納言の描くように立って飲んでいる者もいた。四年生の時は、同じような広い下宿に同じ吹奏族の指揮者と二人で住んでいた。

卒業間際にオウム事件が起きた。

筑波の大学院では最初、学生宿舎に入った。鉄筋コンクリートの素っ気ない建物で、学生たちは「サティアン」と呼んでいたが、わたくしもこの宿舎では頭が働かずこまった。で、たまらず広い畳敷きのアパートに移って正気を取り戻した。

――以上は、いいわけなのであるが、それはともかく、我々の社会の住環境は文化に直結している。「枕草子」のセンスは、明らかに寝殿造りの空間と関係があるし、「箱男」や「コンビニ人間」も、まあそういうことだ。以前のわたくしの夢は、「男どアホウ甲子園」みたいな作品を読みながらお茶を飲みながらこたつで過ごすことであったが、さすがに今の住居ではそういう欲望すらなくなった。つくばセンターの南の方に、酒場と一緒になった激安古本屋があって、そこに置いてある本をアルバイトの帰りに買い込んでくるのがわたくしの日課であったが、当時買った本に染みついた匂いもいまはなくなった。

この橋本の家は街道に近い町はずれの岡の上にあった。昼飯の後、中学生の直樹は谷の向側にある親戚を訪ねようとして、勾配の急な崖について、折れ曲った石段を降りて行った。
 三吉は姉のお種に連れられて、めずらしそうに家の内部を見て廻った。
「三吉、ここへ来て見よや。これは私がお嫁に来る時に出来た部屋だ」
 こう言ってお種が案内したは、奥座敷の横に建増した納戸で、箪笥だの、鏡台だの、その他種々な道具が置並べてある。襖には、亡くなった橋本の老祖母さんの里方の縁続きにあたる歌人の短冊などが張付けてある。
「私が橋本へ来るに就いて、髪を結う部屋が無くては都合が悪かろうと言って、ここの老祖母さんが心配して造って下すった――老祖母さんはナカナカ届いた人でしたからね」とお種は説き聞かせた。
「へえ、その時分は姉さんも若かったんでしょうネ」と三吉が笑った。
「そりゃそうサ、お前さん――」と言いかけて、お種も笑って、「考えて御覧な――私がお嫁に来たのは、今のお仙より若い時なんですもの」
 薬研で物を刻す音が壁に響いて来る。部屋の障子の開いたところから、斜に中の間の一部が見られる。そこには番頭や手代が集って、先祖からこの家に伝わった製薬の仕事を励んでいる。時々盛んな笑声も起る……
「何かまた嘉助が笑わしていると見えるわい」
 と言いながら、お種は弟を導いて、奥座敷の暗い入口から炉辺の方へ出た。大きな看板の置いてある店の横を通り過ぎると、坪庭に向いた二間ばかりの表座敷がその隣にある。
三吉は眺め廻して、「心地の好い部屋だ――どうしても田舎の普請は違いますナア」
「ここをお前さん達に貸すわい」と姉が言った。「書籍を読もうと、寝転ぼうと、どうなりと御勝手だ」
「姉さん、東京からこういうところへ来ると、夏のような気はしませんね」
「平素はこの部屋は空いてる。お客でもするとか、馬市でも立つとか、何か特別の場合でなければ使用わない。お前さんと、直樹さんと、正太と、三人ここに寝かそう」
「ア――木曾川の音がよく聞える」
 三吉は耳を澄まして聞いた。
 間もなくお種は弟を連れて、店先の庭の方へ降りた。正太が余暇に造ったという養鶏所だの、桑畠だのを見て、一廻りして裏口のところへ出ると、傾斜は幾層かの畠に成っている。そこから小山の上の方の耕された地所までも見上げることが出来る。
 二人は石段を上った。掩い冠さったような葡萄棚の下には、清水が溢れ流れている。その横にある高い土蔵の壁は日をうけて白く光っている。百合の花の香もして来る。
 姉は夏梨の棚の下に立って、弟の方を顧みながら、「この節は毎朝早く起きて、こうして畠の上の方まで見て廻る。一頃とは大違いで、床に就くようなことは無くなった――私も強くなったぞや」

――島崎藤村「家」

大学時代、こういう描写に憧れて原稿用紙に写したこともあったが、このような叙述は、いまはなかなか出来ない気がするのである。わたくしの実家は、この描写の場所の近くなのであるが、すごくよく描けているのである。空間の描写を構築する者として藤村は天才だと思った。これに比べると、漱石とかは観念的でポストモダンな感じである。文学の学徒としていい加減なことはあまりいいたくないのだが、藤村が建築的に成し遂げたことに比べりゃ、漱石のやったことはテロみたいな側面があるんだ。藤村みたいな人が本当は重要なんだ。