★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

朝帰りにおける理想と現実

2020-01-06 23:43:26 | 文学


暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒・元結かためずともありなむとこそ、覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起き難げなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かず物憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。
思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、烏帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇・畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。


わたくしがブログを書き始めたのはたしか2010年の5月頃であったと思うが、当時それなりの危機感はあって、――つまり鳩山政権が沖縄基地の件で追放されかけていたころであった。おおざっぱに言えば、小沢鳩山の線の後退ということだ。民主党支持者でなくとも、このあと数年で決定的な挫折を味わった人は多いはずであり、以降は皆が知るとおりだ。多くは闇に葬られているけれども。

このあたりの事情は、これからも分析されてゆくであろうが、政治の描き方の究極にはその現実をあらわすシーンというものが必要で、それを描けるかは元になるデータのうえに人間観察が正しくされていなければならないのである。我が国はそのどちらも欠けているのであるが、その理由に、理想と現実という小学生の劣等生みたいな観念の分裂の上に実践を構築していることがある。本当は70点しかとれなかったのに、85点ぐらいだと必死に脳内で修正をかけるあれである。

上の朝帰りの理想と現実の描写にしても、たぶん現実はその間のどこかにありそうで、――いや、もっと外れているかもしれないと思わざるを得ない。

人間五十年以上も生きていると、誰でも私の経験したような、奇々怪不可思議な出来事に一度や二度はあうものであろうか。恥を語らねば筋が通らない。話は私の朝帰りから始まる。
 およそ朝帰りなるもの、こんないやな気持のものはない。良心の苛責といつてしまえばそれまでだが、もつと肉体的な、たとえばズボンのうしろに自分だけが尻尾をぶらさげて歩いているような、みじめな気持である。さてその朝帰りの玄関に出迎えたのが、思いきや、十年以上も会わない東京の悪友で、のつけのセリフが「おかえんなさいまし、エヘヘ」であつた。どさくさまぎれの朝酒が夕酒になる頃、初老の悪童のろけていうには、輓近二十二歳の愛人を得て昼夜兼行、多々ますます弁じているが、艶運はともかく、このホルモンは羨ましかろう等々。
 さてその晩の汽車で帰る彼を大阪駅に送り、別杯さめやらぬままにウトウトしながら郊外電車で帰宅した。そしてその翌朝、外套のポケットの煙草がほしいと家人にいうと、煙草の代りに指先にぶらさげて来たのが、何と二、三度用いたナイロンの女靴下。それが膝までの短いやつで、ごていねいに両足そろつている――。
 私は不覚にも狼狽した。そして電光の速さで前々夜のおぼろの記憶をたどつたが、彼女には膝までの靴下を用いる趣味はないはずだ。しかし、万一ということもあるから、おそるおそる電話でおうかがいを立てると「ご冗談でしょ」と受話器の音ガチャン。まさにやぶ蛇である。家人に何と弁解したか、これを読まれる方々のご参考に供したいが、実のところ、ぜんぜん身におぼえのないことだから知らぬ存ぜぬの一点張りであつた。
 その真相は今もつて判らない。多分エロスの神の使者が女に化けて、すでに女体に触れた靴下をひそかに私のポケットにすべり込ませ、少しばかり老人を燃え立たせたのであろう。


――西東三鬼「女靴下の話」


なんという暢気な話であろう。ナイロンの靴下のどこに奇々怪々なところがあろうか。平凡な事実を語るところでも、我々はエロスの神や奇々怪不可思議な次元を示さなければ現実を語った気にならないところがあるのだ。