伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

あまりに野蛮な 上下

2009-02-18 22:45:09 | 小説
 戦前の台湾で暮らした幼い子どもを亡くして悲嘆に暮れ精神を病んだ女性ミーチャこと小泉美世の台湾と日本での暮らしと、その姪で子どもを交通事故でなくした50代の女性リーリーこと茉莉子が台湾を訪ねたエピソードを重ね合わせ錯綜させた小説。
 前作「ナラ・レポート」の観念的な小難しさからちょっとひるんでいたのですが、怪人二十面相・伝PartⅡで太宰治が意外なキーパースンになっていたこともあり、何かの縁だと太宰の娘の作品に手を出したのですが・・・失敗でした。
 今回は、観念的な部分は最初と最後だけで、小難しさもあまりありませんが、ひたすら冗長で面白くない。
 端的に言って、主人公2人が2人とも共感できません。
 1930年代のミーチャ。台湾に移住した日本人学者の妻ですが、女手一つで育てた夫の母を経済的にはその母に依存しているくせに嫌い続け、様々なことに不満ばかり持ち、台湾の現地社会にもとけ込もうとせず、次第に家事もせず夫の手伝いの翻訳も清書もしなくなり、被害妄想に陥り、身勝手な理由を付けつつ万引きを繰り返していきます。それを子どもを失った悲しみのせいにしていますが、結婚前の手紙からして明らかに情緒不安定ですし、義母への激しい嫌悪や現地社会にとけ込もうとしない様子は子どもを失う前からです。台湾の先住民への共感も本を読んだり新聞を読んで観念的にそう思っているだけで現実に交流を図ろうともしていませんし、台湾人のお手伝いさんとかにも心を許していません。実態としては典型的な植民地に暮らす日本人で、台湾人・先住民との交流はない状態です。
 2005年のリーリー。植民地だったことは意識しながらも台湾の言葉を学ぶこともなく台湾を訪れ、結局は日本語が話せる植民地時代を生きた老人を頼りに日本語で話して旅を続け、「原住民」の村を訪ねますが所詮先住民を珍しがる観光客と変わりありません。
 その2人のイヤな女の話を、だらだらと続けた挙げ句、最後になってすべてを「子どもを死なせたことがある女はいったい、どのように生きればいいのか」(下巻350頁)という問いかけの中に解消しようとしています。ミーチャとリーリーのイヤな女加減に反発を感じてきた読み手はすべて子どもを亡くした女の悲しみに鈍感なヤツだと切り捨てるようなラストで。子どもを亡くしたり不幸に遭いながら一生懸命頑張っている女がたくさんいるのに、そしてこの2人の行動に子どもを亡くしたことが影を落としていることは事実だとしてもそうでない部分もかなりあるのに、この1点でとりまとめようとするのは、あまりに無謀だと思います。
 また、この2人は台湾の住民ときちんと交流しようともしていないのに、最後には先住民と共感し通底し交流したように描いているのも、ものすごく唐突に感じます。むしろ、これだけ不思慮で先住民の悲しみに鈍感な2人に、台湾で植民地支配を受けてきた老人と先住民が日本人を恨んでいないよというメッセージを出すことで、作者は過去の植民地支配一般への引け目を薄めたいのではないかとさえ感じてしまいます。先住民のために何一つしなくても子どもを失ってそれを理由に悲しめば先住民が共感し仲間と扱ってくれて植民地支配に加担した業が解消されるというのでしょうか。
 それに、ラストに書くメッセージがそれだとすれば、ミーチャとリーリーはもう少し別の行動をすべきだったのではないでしょうか。最後のメッセージ自体は問題提起として理解できますが、それとラスト以前の長い長い記述はずいぶんとずれているのではないでしょうか。この構想が書き下ろしとして書かれていれば半分か3分の1くらいの長さで書いているのではないでしょうか。雑誌連載で間を持たせるために惰性で長くなり、途中で構想が変わったようにしか、私には読めませんでした。


津島佑子 講談社 2008年11月28日発行
「群像」2006年9月号~2008年5月号連載
コメント
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