フランスの哲学者アンリ=ルイ・ベルクソンの「笑い」における笑いについてジグムント・フロイトの論文「不気味なもの」との対比で考察したパンフレットタイプの論文。
モリエールの喜劇を中心に相当数の文学作品が引用されるとともに、フランス現代哲学の香りのぷんぷんする本ですから、基本的に小難しい本です。
しかし、基本線は、滑稽なものと不気味なものの連続性に着目し、繰り返しやひっくり返し、不条理というようなパターンが一定の「枠」の中で自らが観客としての位置を維持できるときは滑稽さとして働き、枠が宙づりになり穴が開き自らが巻き込まれると不気味なものとなるということを論じています。暴力的に要約すると自らの掌のうち(コントロールできる)か対岸の火事で自分に深刻な影響を生じないことは笑ってみていられるが、自分が巻き込まれ先が見えない(コントロールできない)となると不気味/不安になるというようなことだと思います。ある意味、当たり前。
哲学系の本を読んで、難しい言葉を使って難しい本をたくさん引用しているけど、結局言いたいことは「だから、どうしたの」って言いたくなるようなことだったりすることがよくあります。それはもちろん、私の理解が足りないというか私がディテールに関心を持てないためでしょうけど、そういうことから私はどうも哲学系の本が苦手です。
それに、この本の本文は正味67ページしかないのに、訳者解説が35ページ。本文の長さの半分以上もある解説って。こういうなが~い訳者解説にありがちですが、本文で取り上げていないことをあれこれ挙げて本文よりさらに小難しいことを書いています。そういうのは、別に自分の本で書けばいいのにと思います。
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原題:LE RIRE ETRANGE : BERGSON AVEC FREUD
ジャン=リュック・ジリボン 訳:原章二
平凡社 2010年4月14日発行 (原書は2008年)
モリエールの喜劇を中心に相当数の文学作品が引用されるとともに、フランス現代哲学の香りのぷんぷんする本ですから、基本的に小難しい本です。
しかし、基本線は、滑稽なものと不気味なものの連続性に着目し、繰り返しやひっくり返し、不条理というようなパターンが一定の「枠」の中で自らが観客としての位置を維持できるときは滑稽さとして働き、枠が宙づりになり穴が開き自らが巻き込まれると不気味なものとなるということを論じています。暴力的に要約すると自らの掌のうち(コントロールできる)か対岸の火事で自分に深刻な影響を生じないことは笑ってみていられるが、自分が巻き込まれ先が見えない(コントロールできない)となると不気味/不安になるというようなことだと思います。ある意味、当たり前。
哲学系の本を読んで、難しい言葉を使って難しい本をたくさん引用しているけど、結局言いたいことは「だから、どうしたの」って言いたくなるようなことだったりすることがよくあります。それはもちろん、私の理解が足りないというか私がディテールに関心を持てないためでしょうけど、そういうことから私はどうも哲学系の本が苦手です。
それに、この本の本文は正味67ページしかないのに、訳者解説が35ページ。本文の長さの半分以上もある解説って。こういうなが~い訳者解説にありがちですが、本文で取り上げていないことをあれこれ挙げて本文よりさらに小難しいことを書いています。そういうのは、別に自分の本で書けばいいのにと思います。
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原題:LE RIRE ETRANGE : BERGSON AVEC FREUD
ジャン=リュック・ジリボン 訳:原章二
平凡社 2010年4月14日発行 (原書は2008年)