オオワシなどの渡り鳥を中心としたバード・ウォッチングの紀行文を中心とするエッセイ。
渡り鳥は、現に留鳥がいるようにその地にとどまっても生きていけるのになぜ危険を冒して渡りをするのか、という問いかけを軸にしつつ、第2次大戦中に強制収容所でアメリカへの忠誠を聞かれてノーと答えたために日本に送還された「ノーノーボーイ」やロシア革命とソ連崩壊に翻弄された人々、内地から北海道に移住した人々を取り上げて人間の渡りとして対比させています。他者にとっては謎であり不可思議であっても、その者にとっては必然でありまた運命であり他に選択肢などない、生きることは時空の移動でありそれは変容をも意味する、不可避の移動・変化というあたりが著者の答えになっています。
バード・ウォッチングのエッセイで、北の大地の自然を描写した文章の美しさが読み味の基調をなしていますが、美しい自然礼賛でもないところが独特の重みを感じさせます。人間の自然破壊も、人間の存在やその欲深さも自然の一部だからその結果もこの時代この場所の生態系に他ならない、だが同時にその人間の中に何とか自然破壊を食い止めようと試行錯誤する人々が出ることもまた自ら回復しようとする自然の底力の一つなのだろう(14ページ)とか、エチゼンクラゲがオホーツク海に現れることも稲作の発達につれてスズメが増えたのと同様自然なのだ(172ページ)とかの突き放した物言いには、ある種の挑発も含めて読んでいてはっとします。
都会の卑しい鳥として嫌っていたヒヨドリに北海道の山奥の森で出会い過去にヒヨドリに意地悪したことの罪の意識を感じ、詐欺商法のセールスマンの不気味さを野生生物の狩りの様子に重ね合わせたり、価値観・視点の相対化が図られていたりする点にも考えさせられます。

梨木香歩 新潮社 2010年4月30日発行
渡り鳥は、現に留鳥がいるようにその地にとどまっても生きていけるのになぜ危険を冒して渡りをするのか、という問いかけを軸にしつつ、第2次大戦中に強制収容所でアメリカへの忠誠を聞かれてノーと答えたために日本に送還された「ノーノーボーイ」やロシア革命とソ連崩壊に翻弄された人々、内地から北海道に移住した人々を取り上げて人間の渡りとして対比させています。他者にとっては謎であり不可思議であっても、その者にとっては必然でありまた運命であり他に選択肢などない、生きることは時空の移動でありそれは変容をも意味する、不可避の移動・変化というあたりが著者の答えになっています。
バード・ウォッチングのエッセイで、北の大地の自然を描写した文章の美しさが読み味の基調をなしていますが、美しい自然礼賛でもないところが独特の重みを感じさせます。人間の自然破壊も、人間の存在やその欲深さも自然の一部だからその結果もこの時代この場所の生態系に他ならない、だが同時にその人間の中に何とか自然破壊を食い止めようと試行錯誤する人々が出ることもまた自ら回復しようとする自然の底力の一つなのだろう(14ページ)とか、エチゼンクラゲがオホーツク海に現れることも稲作の発達につれてスズメが増えたのと同様自然なのだ(172ページ)とかの突き放した物言いには、ある種の挑発も含めて読んでいてはっとします。
都会の卑しい鳥として嫌っていたヒヨドリに北海道の山奥の森で出会い過去にヒヨドリに意地悪したことの罪の意識を感じ、詐欺商法のセールスマンの不気味さを野生生物の狩りの様子に重ね合わせたり、価値観・視点の相対化が図られていたりする点にも考えさせられます。

梨木香歩 新潮社 2010年4月30日発行