放射線防護学の専門家の立場から、福島原発震災後の「関係各所の安易な安全発言」を批判しつつ、被曝低減のための生活上の注意・対策を説明した本。
「どんなに低い放射線量であろうと発がんの可能性はゼロではない」(27ページ)、「放射線を浴びる量は限りなくゼロ、が基本です」(28ページ)という立場から、安全基準は「これ以下なら絶対安全という基準ではなく、このくらいなら気にしなくて大丈夫、がまんできるという意味合いの値です」(30ページ)という基本的な姿勢を冒頭で示し、安全と言い過ぎないように気を遣って書いている部分も相当に見られます。
もっともこの冒頭段階でも「がまんできる」って誰が評価してるの?「住民のみなさん、申し訳ないけどがまんしてください」じゃないの?って疑問を感じますし、飲食物についての暫定規制値については「十分に安全性を見込んだもの」(48ページ)、「仮にこれらの値の限度ギリギリの水を1日1kg飲んだとすると、200万人のうち一人くらいが将来がんで死亡するかもしれないという確率になります」(53ページ)、「暫定規制値は十分に安全側に立ち、余裕をもって決められています。仮に暫定規制値の限度ギリギリの放射性物質を含む食品を1日1kg食べたとしても、200万人のうち、1人くらいが将来がんで死亡するという確率です」(93ページ)と、度々安全を強調しています。ここでいわれているリスク係数はICRP(国際放射線防護委員会)が現在認めている数値によっているもので、この本で触れられている「チェルノブイリ事故のあと、各種がんの発生率は10倍に増えたという調査もあります」「チェルノブイリでは放射線被ばくによる免疫力の低下が呼吸器系疾患を、放射性セシウムの内部被ばくが心臓血管系疾患を増やしているという研究結果も公表されています」(114~115ページ)というような研究成果を反映していないものだと思います。行政がチェックしているから市場で出回っている食品は安全だという趣旨の記載が続いている(90~95ページ)ことも含め、学者として良心的に書こうという姿勢を見せつつも、結局は原子力を推進してきた側で得られた知見と行政への信頼をベースにした本になっているように、私には感じられます。
またこの本の日常生活での被曝についての想定は、執筆時点(2011年6月)で福島第一原発から新たな放射性物質放出は新たな爆発がない限りはない、放射性ヨウ素の問題は(半減期が短いので)すでに解決済み(107ページ)、プルトニウムはとても重いので遠くまで飛ぶことはあまりない(129ページ)、ストロンチウム90は沸点が高いのですぐに固体化し避難区域から遠くへ飛ぶことはあまりない(152ページ)などを大前提にしています。しかし、今回の福島原発震災では、そういった基本的に原子力推進側の研究者たちが作ってきた「常識」的な知見が次々と覆されています。この本の中でもいわれている海の汚染が魚に影響するまでには時間がかかり半減期が短い放射性ヨウ素が関わってくることはまずないだろうという考えが福島第一原発から70km離れた日立市沖のこうなごから高濃度の放射性ヨウ素が検出された事実により崩れた(88ページ)ことや、2011年8月25日に奥州市の下水道脱水汚泥で突如1kgあたり2300Bqものヨウ素131が検出され(奥州市公式サイト)、東京都でも8月15~16日にかけて江東区と清瀬市の処理プラントで下水道脱水汚泥から1kgあたり150Bqのヨウ素131が検出され(東京都下水道局のサイト:7月はいずれも1kgあたり数十Bq)、プルトニウムが福島第一原発から45km離れた飯舘村で検出され(2011年9月30日文科省発表)、さらには福島第一原発から250kmも離れた横浜市港北区のマンション屋上の埃から1kgあたり195Bqものストロンチウム90が検出される(朝日新聞2011年10月12日朝刊)などの事実を前にしたとき、従来の放射線防護学の常識を前提に議論をすること自体疑問を持たざるを得ません。
こうした方がより安全という部分は、参考にしつつ(公園や校庭の表層の砂・土を剥がして入れ替えることについては、外部被曝の低減策として有効であることはその通りと思いますが、その剥がす工事や剥がした後の砂・土の処理次第では放射性物質が付着した砂等が飛散して新たな内部被曝等のリスクがあると私は思います。そのことがほとんど指摘されないことには、この本以外も含めて疑問を持っていますけど)、安全余裕がある、大丈夫という評価部分にはさらに一歩距離を置いてみた方がいいかなと思います。

野口邦和 法研 2011年7月30日発行
「どんなに低い放射線量であろうと発がんの可能性はゼロではない」(27ページ)、「放射線を浴びる量は限りなくゼロ、が基本です」(28ページ)という立場から、安全基準は「これ以下なら絶対安全という基準ではなく、このくらいなら気にしなくて大丈夫、がまんできるという意味合いの値です」(30ページ)という基本的な姿勢を冒頭で示し、安全と言い過ぎないように気を遣って書いている部分も相当に見られます。
もっともこの冒頭段階でも「がまんできる」って誰が評価してるの?「住民のみなさん、申し訳ないけどがまんしてください」じゃないの?って疑問を感じますし、飲食物についての暫定規制値については「十分に安全性を見込んだもの」(48ページ)、「仮にこれらの値の限度ギリギリの水を1日1kg飲んだとすると、200万人のうち一人くらいが将来がんで死亡するかもしれないという確率になります」(53ページ)、「暫定規制値は十分に安全側に立ち、余裕をもって決められています。仮に暫定規制値の限度ギリギリの放射性物質を含む食品を1日1kg食べたとしても、200万人のうち、1人くらいが将来がんで死亡するという確率です」(93ページ)と、度々安全を強調しています。ここでいわれているリスク係数はICRP(国際放射線防護委員会)が現在認めている数値によっているもので、この本で触れられている「チェルノブイリ事故のあと、各種がんの発生率は10倍に増えたという調査もあります」「チェルノブイリでは放射線被ばくによる免疫力の低下が呼吸器系疾患を、放射性セシウムの内部被ばくが心臓血管系疾患を増やしているという研究結果も公表されています」(114~115ページ)というような研究成果を反映していないものだと思います。行政がチェックしているから市場で出回っている食品は安全だという趣旨の記載が続いている(90~95ページ)ことも含め、学者として良心的に書こうという姿勢を見せつつも、結局は原子力を推進してきた側で得られた知見と行政への信頼をベースにした本になっているように、私には感じられます。
またこの本の日常生活での被曝についての想定は、執筆時点(2011年6月)で福島第一原発から新たな放射性物質放出は新たな爆発がない限りはない、放射性ヨウ素の問題は(半減期が短いので)すでに解決済み(107ページ)、プルトニウムはとても重いので遠くまで飛ぶことはあまりない(129ページ)、ストロンチウム90は沸点が高いのですぐに固体化し避難区域から遠くへ飛ぶことはあまりない(152ページ)などを大前提にしています。しかし、今回の福島原発震災では、そういった基本的に原子力推進側の研究者たちが作ってきた「常識」的な知見が次々と覆されています。この本の中でもいわれている海の汚染が魚に影響するまでには時間がかかり半減期が短い放射性ヨウ素が関わってくることはまずないだろうという考えが福島第一原発から70km離れた日立市沖のこうなごから高濃度の放射性ヨウ素が検出された事実により崩れた(88ページ)ことや、2011年8月25日に奥州市の下水道脱水汚泥で突如1kgあたり2300Bqものヨウ素131が検出され(奥州市公式サイト)、東京都でも8月15~16日にかけて江東区と清瀬市の処理プラントで下水道脱水汚泥から1kgあたり150Bqのヨウ素131が検出され(東京都下水道局のサイト:7月はいずれも1kgあたり数十Bq)、プルトニウムが福島第一原発から45km離れた飯舘村で検出され(2011年9月30日文科省発表)、さらには福島第一原発から250kmも離れた横浜市港北区のマンション屋上の埃から1kgあたり195Bqものストロンチウム90が検出される(朝日新聞2011年10月12日朝刊)などの事実を前にしたとき、従来の放射線防護学の常識を前提に議論をすること自体疑問を持たざるを得ません。
こうした方がより安全という部分は、参考にしつつ(公園や校庭の表層の砂・土を剥がして入れ替えることについては、外部被曝の低減策として有効であることはその通りと思いますが、その剥がす工事や剥がした後の砂・土の処理次第では放射性物質が付着した砂等が飛散して新たな内部被曝等のリスクがあると私は思います。そのことがほとんど指摘されないことには、この本以外も含めて疑問を持っていますけど)、安全余裕がある、大丈夫という評価部分にはさらに一歩距離を置いてみた方がいいかなと思います。

野口邦和 法研 2011年7月30日発行