有罪判決が上級審で無罪となり確定した事件や再審無罪となった事件、日弁連が再審支援を決定した事件その他冤罪が疑われる事件を素材として、類型ごとに証拠と立証の困難さ、冤罪リスクを論じる本。
例えば、第一発見者は科学的証拠の面からは犯人と区別が付かない。指紋があってもDNA鑑定で一致しても犯行時間に近接して犯行現場にいたのだから当然であるし、さらには血痕が付着していても被害者が倒れているのを見て揺り動かしたと言えばそれまで。多くの場合は第一発見者の嫌疑が晴れて起訴されないが、第一発見者が疑われ自白して起訴されたら冤罪を晴らすことは難しい(32~56ページ)。被害者の家族も同様で、家族であるから現場にいたのは当たり前のことなのに、それが犯罪視されてしまう。内部犯行説は迷宮入りしかけた事件を一気に解決できるので、捜査機関にとっては魅力的である。外部犯行の可能性を十分につぶせているか、内部犯行説に至る経緯をよく検討する必要がある(58~67ページ)…というように。
この本は、虚偽自白を見抜くことができるという考えは傲慢であり、虚偽自白を見抜くことはできない、過去に行われた犯罪事実の真実を発見することはできないことを前提に、事件の類型的な「冤罪性リスク」を認識し、秘密の暴露のない自白は有罪方向の証拠として用いない(あっさり捨てる)、共犯自白はその不純動機(証人の汚染)を評価する、第三者証人は汚染されていない既知証人の証言以外は有力とはいえない(目撃対象が未知の人物の場合見間違いのリスクは非常に大きい:208~209ページ)ということに注意しつつ事件の証明論的構造を見て犯罪の証明の成否がどのような点(どの程度確実・不確実な事実)にかかっているかを検討して判断すべきことを論じています。それぞれの事件の証拠について具体例を挙げて述べていて、弁護士にとっては非常に興味深くおもしろくまた説得力があります。
度々哲学的な概念や議論が持ち込まれ、不必要に小難しく感じさせ、また衒学趣味的な嫌みさを感じさせるのが、玉に瑕に思えます。また、具体的な事件での具体的な証拠を取り上げてその評価や冤罪性リスクの程度を論じていますので、著者はこの事件が冤罪でないと言いたいわけではないと断ってはいますが、書かれている事件の関係者には異論があろうかとも思えます。しかし、いくつかの難点はあるとしても、刑事裁判と証拠・証明について考える材料としてとてもよい本だと私は思います。
森炎 岩波書店 2014年1月23日発行
例えば、第一発見者は科学的証拠の面からは犯人と区別が付かない。指紋があってもDNA鑑定で一致しても犯行時間に近接して犯行現場にいたのだから当然であるし、さらには血痕が付着していても被害者が倒れているのを見て揺り動かしたと言えばそれまで。多くの場合は第一発見者の嫌疑が晴れて起訴されないが、第一発見者が疑われ自白して起訴されたら冤罪を晴らすことは難しい(32~56ページ)。被害者の家族も同様で、家族であるから現場にいたのは当たり前のことなのに、それが犯罪視されてしまう。内部犯行説は迷宮入りしかけた事件を一気に解決できるので、捜査機関にとっては魅力的である。外部犯行の可能性を十分につぶせているか、内部犯行説に至る経緯をよく検討する必要がある(58~67ページ)…というように。
この本は、虚偽自白を見抜くことができるという考えは傲慢であり、虚偽自白を見抜くことはできない、過去に行われた犯罪事実の真実を発見することはできないことを前提に、事件の類型的な「冤罪性リスク」を認識し、秘密の暴露のない自白は有罪方向の証拠として用いない(あっさり捨てる)、共犯自白はその不純動機(証人の汚染)を評価する、第三者証人は汚染されていない既知証人の証言以外は有力とはいえない(目撃対象が未知の人物の場合見間違いのリスクは非常に大きい:208~209ページ)ということに注意しつつ事件の証明論的構造を見て犯罪の証明の成否がどのような点(どの程度確実・不確実な事実)にかかっているかを検討して判断すべきことを論じています。それぞれの事件の証拠について具体例を挙げて述べていて、弁護士にとっては非常に興味深くおもしろくまた説得力があります。
度々哲学的な概念や議論が持ち込まれ、不必要に小難しく感じさせ、また衒学趣味的な嫌みさを感じさせるのが、玉に瑕に思えます。また、具体的な事件での具体的な証拠を取り上げてその評価や冤罪性リスクの程度を論じていますので、著者はこの事件が冤罪でないと言いたいわけではないと断ってはいますが、書かれている事件の関係者には異論があろうかとも思えます。しかし、いくつかの難点はあるとしても、刑事裁判と証拠・証明について考える材料としてとてもよい本だと私は思います。
森炎 岩波書店 2014年1月23日発行