肖像権(人が意に反して容貌等を無断で撮影などをされたりその写真等を公表されたりしない権利)についての沿革や法的性質を論じ、裁判例を紹介した本。
著者の意見は、狭義の肖像権は人格権に含まれるがプライバシー権とは独立した別の権利であり、パブリシティ権(氏名や肖像の持つ顧客吸引力を独占的に利用する権利:特に有名人について現実に問題となる)は人格権に由来するが人格権とは別の権利と解すべきである、出版物での肖像等の利用はパブリシティ権の対象外とすべきであるという点で、日本の現在の判例の流れと異なっています。
過去に書いたものが古くなって改訂する際にありがちとはいえますが、継ぎ接ぎの結果か、読みにくくなり、論旨もわかりにくくなっているように思えます。序章は表題は「肖像保護は写真機の発明に始まる」となっていますが、それに対応する中身はほとんどなく本の構成の説明が中心となっています。他方、なぜか改訂新版あとがきに序章のタイトルにふさわしそうな沿革が説明されていたりします。第5章の「最近の判例の動き」は改訂新版で追加したそうですが、第3章の「パブリシティ権とはどんな権利か」と第4章の「物にパブリシティ権があるか」ですでに紹介済みの判例がほとんどで、ただの繰り返しにしか見えません。著者の主張の出版物での肖像等の利用はパブリシティ権の対象外とすべきとの点も第3章(214ページ)ではそう書いているのに、第5章では「私は、言論、出版、報道の自由の見地から、一律に、パブリシティ権の対象外とした方がいいと一時考えたが」(247ページ)なんて書いていたりして、結局どうなのよと思います。
肖像権についての裁判例がたくさん紹介されていることやアメリカやドイツも含めた沿革の話は参考になりますが、裁判例は「並べられている」という感じが強く繰り返しが多く、現時点で裁判例の流れなり傾向を説明するものとしては、まとまっていなくて読みにくいと思います。パブリシティ権についての裁判例はたくさん紹介されているのに、著者の関心はパブリシティ権が人格権に属するのか独立の権利かのほぼ1点のみで、その観点からのみ解説されていて、どういう場合にパブリシティ権侵害となりどういう事情があれば正当化されるのかといった観点からの分析がほとんどないのは、せっかく裁判例を紹介するのに残念だと思ってしまいます。
本体の狭義の肖像権の関係でも、撮影等の同意の問題を最初の方で論じているのに、TBSの「みのもんたの朝ズバッ!」で生中継中にゴミ収集車運転手に声をかけて容貌を全国中継したことが肖像権侵害で争われた東京地裁2009年4月14日判決(判例時報2047号136ページ)を紹介していないのは大変残念です。カメラを向けられたことと黙示の同意について興味深い議論ができる事案のはずですが。
また裁判例の当事者名の出し方に、統一性とか配慮が感じられないのも、プライバシーを論じる学者、元文部官僚にしては疑問に思いました。個人でも多くの裁判当事者が実名で紹介されているのも今どきの感覚では疑問ですし、私が代理人の事件ですが東京高裁1995年10月17日判決と東京地裁1995年4月14日判決を「妻は×××社員」事件(この本の中では×××部分は会社名がわかる略称)なる名称で紹介しています。この事件の判決では、被疑者の妻の勤務先名を週刊新潮が書いたことがプライバシー侵害として損害賠償を命じられているわけで、その記載することが違法な情報をあえて書くセンスには法律関係者として強い疑問を持ちます(あえて略称を書かなくても本当に「×××」で十分書けるわけですし)。そして、個人の名前は平気で実名で書くのに、なぜか思想調査事件の関西電力は「電力会社」、会長の車椅子写真の掲載が違法とされた事件の武富士は「大手消費者金融」とぼかされています。このあたりのバランス感覚も疑問です。
大家重夫 太田出版 2011年8月10日発行(新版は2007年)