三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。2月7日、日曜日。
パンパカパーン!記念の300回目でーす!
いやー、続きましたね。毎週で5年以上ですか。我ながらよく続いたと思います。
これからも毎週日曜日の朝、ぼちぼちと何か語っていきたいと思いますので覗いてみてくれたらうれしいです。
実は今日は、母親の誕生日で、満87歳になります。
計画としては、家族でどこかに出かけ米寿のお祝いをしようかと話をしていました。
厳密に言えば、数え年と誕生日は関係がありませんが、まあそれはそれとして。
ちょうど1年前に風呂で溺れ、その後から少しずつ認知症が進んできました。
今思えば、溺れたのも認知の症状からだったかもしれません。
誘われればどこにでも出かけていく、前向きで明るい性格の母でしたが、次第に笑顔が消え言葉も出てこなくなりました。
それでも孫やひ孫たちが集まれば何とかなると思っていました。
ところが、12月24日、ずるずると崩れるように廊下で倒れ、カミさんと二人がかりで抱き起し病院まで連れて行きました。
玄関から車まで背負ったのですが、
「軽そうで 母を背負いてそのあまり 重きにあえぎ三歩歩めず」
というような感じでした。
体重40㎏もないのですが力の抜けた体は予想以上に重いのです。
そして経過観察のための入院となりました。
病院では家族でも面会ができず、洗濯物を届けるだけでした。
それから1か月、先月28日に隣接する老健施設に移り、3月末までの短期入所となりました。
その後は、できるかどうか自宅で介護してみようかと思っています。
月曜日、ガラス越しに面会ということになり玄関先で顔を見てきました。
「誰だか分かる?」の問いかけに、はじめ、「息子の嫁」は分かるのに息子と娘は分からないようでした。
少しすると思い出したようでしたがそんな風になってしまいました。
一昨日も施設から電話があり、「口の中から何か出ていたので見たら補聴器を舐めていました」と。飴と間違えたのでしょう。
アルツハイマー型認知症ということで、これからも進行して回復することはないと思われます。
計画していた米寿のお祝いも、春になって帰って来てからということにしました。
恩師からレコードをいただきました。『浪曲 御伝記 道元禅師・瑩山禅師』。
LP版の5枚組で、10人の浪曲師によってA面B面合わせてそれぞれの伝記が5話ずつ収録されています。
作は木村学司、口演は大好きな春日井梅鶯の他、浪速家辰造、広沢虎造、東家浦太郎、天中軒雲月などなど、当時の人気浪曲師が担当しています。
内容も素晴らしいし、芸能としても十分楽しめるものとなっています。
木村学司は、浪曲作家、劇作家で、NHK専属作家を経て、晩年「宗教レコード制作本部」を立ち上げ、この他、日蓮、親鸞、法然などの伝記を浪曲に仕立てています。
昭和47年発売当時の価格が1万円ですから、消費者物価が4倍として今の価格で4万円ほどで販売されていたことになります。
しかし、こんなものがあったということすら知りませんでした。
浪曲が斜陽であることは否めませんが、こんないいものの存在すら知られていないのは実にもったいないと思いますし、残していきたいと思います。
浪曲の起源は仏教のお経を節をつけて読む声明(しょうみょう)にあるとされ、その後「祭文語り」「説教節」「節談説教」「阿呆陀羅経」などに変化したものの影響を受けて大道芸となり発展しました。
「祭文」という言葉は今でもお寺の行事に残り、祖師の業績を称える四六駢儷体(しろくべんれいたい)などの文章として法要の中で読まれます。つまり、もともと祖師方の一代記などを語って布教したものが大衆芸能に溶け込んでいったものなのです。
それが今の形にまとまったのは明治初期で、大正から昭和の最盛期には浪曲師が3000人もいたほど隆盛しましたが、戦後次第に下火となりました。
私が浪曲に関心を持ったのはいつだったのかきっかけは何だったのかはっきり覚えていませんが、カセットテープの時代に聞き始め、今でもNHKのらじるらじるで「浪曲十八番」を聴いています。
落語や講談のように語りだけではなく、演歌のように歌だけでもない。語りと歌と演じ分け、いわば総合芸能ともいえるものが浪曲なのです。
題材としては戦国軍記物、忠臣蔵、次郎長や国定忠治の任侠物、佐渡情話などの人情物、「歌入り観音経」など仏教系のものもあります。
いずれにせよ「泣かせる」話がほとんどだといってもいいでしょう。
道元禅師、瑩山禅師の御伝記の中にも泣かせる部分があり、そこはやはり浪曲なのです。
いやー、いいものをいただきました。
レコードプレーヤーはとっくの昔に処分していたので安物を買いました。
300回、米寿、山あり谷あり。
「山より高き父の恩~、海より深き母の恩、知るこそ道のはじめなれ~」
浪花節だよ人生は。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
パンパカパーン!記念の300回目でーす!
いやー、続きましたね。毎週で5年以上ですか。我ながらよく続いたと思います。
これからも毎週日曜日の朝、ぼちぼちと何か語っていきたいと思いますので覗いてみてくれたらうれしいです。
実は今日は、母親の誕生日で、満87歳になります。
計画としては、家族でどこかに出かけ米寿のお祝いをしようかと話をしていました。
厳密に言えば、数え年と誕生日は関係がありませんが、まあそれはそれとして。
ちょうど1年前に風呂で溺れ、その後から少しずつ認知症が進んできました。
今思えば、溺れたのも認知の症状からだったかもしれません。
誘われればどこにでも出かけていく、前向きで明るい性格の母でしたが、次第に笑顔が消え言葉も出てこなくなりました。
それでも孫やひ孫たちが集まれば何とかなると思っていました。
ところが、12月24日、ずるずると崩れるように廊下で倒れ、カミさんと二人がかりで抱き起し病院まで連れて行きました。
玄関から車まで背負ったのですが、
「軽そうで 母を背負いてそのあまり 重きにあえぎ三歩歩めず」
というような感じでした。
体重40㎏もないのですが力の抜けた体は予想以上に重いのです。
そして経過観察のための入院となりました。
病院では家族でも面会ができず、洗濯物を届けるだけでした。
それから1か月、先月28日に隣接する老健施設に移り、3月末までの短期入所となりました。
その後は、できるかどうか自宅で介護してみようかと思っています。
月曜日、ガラス越しに面会ということになり玄関先で顔を見てきました。
「誰だか分かる?」の問いかけに、はじめ、「息子の嫁」は分かるのに息子と娘は分からないようでした。
少しすると思い出したようでしたがそんな風になってしまいました。
一昨日も施設から電話があり、「口の中から何か出ていたので見たら補聴器を舐めていました」と。飴と間違えたのでしょう。
アルツハイマー型認知症ということで、これからも進行して回復することはないと思われます。
計画していた米寿のお祝いも、春になって帰って来てからということにしました。
恩師からレコードをいただきました。『浪曲 御伝記 道元禅師・瑩山禅師』。
LP版の5枚組で、10人の浪曲師によってA面B面合わせてそれぞれの伝記が5話ずつ収録されています。
作は木村学司、口演は大好きな春日井梅鶯の他、浪速家辰造、広沢虎造、東家浦太郎、天中軒雲月などなど、当時の人気浪曲師が担当しています。
内容も素晴らしいし、芸能としても十分楽しめるものとなっています。
木村学司は、浪曲作家、劇作家で、NHK専属作家を経て、晩年「宗教レコード制作本部」を立ち上げ、この他、日蓮、親鸞、法然などの伝記を浪曲に仕立てています。
昭和47年発売当時の価格が1万円ですから、消費者物価が4倍として今の価格で4万円ほどで販売されていたことになります。
しかし、こんなものがあったということすら知りませんでした。
浪曲が斜陽であることは否めませんが、こんないいものの存在すら知られていないのは実にもったいないと思いますし、残していきたいと思います。
浪曲の起源は仏教のお経を節をつけて読む声明(しょうみょう)にあるとされ、その後「祭文語り」「説教節」「節談説教」「阿呆陀羅経」などに変化したものの影響を受けて大道芸となり発展しました。
「祭文」という言葉は今でもお寺の行事に残り、祖師の業績を称える四六駢儷体(しろくべんれいたい)などの文章として法要の中で読まれます。つまり、もともと祖師方の一代記などを語って布教したものが大衆芸能に溶け込んでいったものなのです。
それが今の形にまとまったのは明治初期で、大正から昭和の最盛期には浪曲師が3000人もいたほど隆盛しましたが、戦後次第に下火となりました。
私が浪曲に関心を持ったのはいつだったのかきっかけは何だったのかはっきり覚えていませんが、カセットテープの時代に聞き始め、今でもNHKのらじるらじるで「浪曲十八番」を聴いています。
落語や講談のように語りだけではなく、演歌のように歌だけでもない。語りと歌と演じ分け、いわば総合芸能ともいえるものが浪曲なのです。
題材としては戦国軍記物、忠臣蔵、次郎長や国定忠治の任侠物、佐渡情話などの人情物、「歌入り観音経」など仏教系のものもあります。
いずれにせよ「泣かせる」話がほとんどだといってもいいでしょう。
道元禅師、瑩山禅師の御伝記の中にも泣かせる部分があり、そこはやはり浪曲なのです。
いやー、いいものをいただきました。
レコードプレーヤーはとっくの昔に処分していたので安物を買いました。
300回、米寿、山あり谷あり。
「山より高き父の恩~、海より深き母の恩、知るこそ道のはじめなれ~」
浪花節だよ人生は。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。