なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ302 心は雪か水か

2021年02月21日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第302回。2月21日、日曜日。

この1週間でまた雪がけっこう積もりました。
飛ばした雪が壁のようになって参道が立山黒部アルペンルートのようになってきました。
これ以上はもう無理です。
庫裡の裏まで回って軒下の除雪が今季5回目です。使用ガソリンが200ℓに達しました。
これを手作業でやるのは、一人ではとてもとても無理なので機械のおかげです。
強力な電気除雪機でもない限り、化石燃料に頼る以外ありません。
そうか、電気自動車があるんだからできないこともないのか、和同製作所、あるいは日産、作らないですかね。
積もった雪の断面を見ると、その時降った雪がミルフィーユ状態になってタイムカプセルのようです。
この時はみぞれのような雪だった。この日は黄砂が降ったんだ。という具合に。

「心を入れ替えて頑張ります」と言う。
心は入れ替えることができるのでしょうか。
心臓は臓器移植で他人のものと入れ替えることができると思います。
しかし、心臓を入れ替えても心を入れ替えたことにはならないし、入れ替えられないでしょう。
過去の心をなかったことにはできません。
パソコンとは違うのですから、消去も再起動もましてや出荷前の状態に戻すことは無理です。
いや、昨日の心の状態までも戻せないでしょう。
上書きしても元の文字は消えずに残ったままです。
心は日々雪のように積み重なっていくのです。
永遠に積み重なっていくばかりです。
雪は消えますが、心は消せません。

心を入れ替えるとは、昨日までとは違う心を積み重ねていくことなのではないか。
汚れた雪はそのままに、その上に汚れていない雪を重ねていくのです。
表面はきれいに見えて、掘ってみると汚れた雪があらわになる、それは仕方ありません。過去は消せないのですから。
でも、汚れていない雪をどんどん重ねていけば、ちょっとやそっと掘ったからってなかなか汚れた雪までは到達できなくなるでしょう。
心を入れ替えるというのは、今日からどんな雪を積もらせるか、ということでしょう。
逆に言えば、過去は消さなくてもそのままでいいのです。
仕方ない、それは背負っていく以外ありません。
蝸牛(かたつむり)のように「過去を背負って歩く」と、そのように覚悟を決めた時から心は好転していくでしょう。
それが心を入れ替えるターニングポイントだと言えるかもしれませんね。

ここで疑問。
心は雪のように「固体」なのか、液体ではないのか。
昨日までの心と今日の心は混然一体と混ざり合うものではないのか、と。
前説はどうも、無理くり雪と結びつけたキライがあります。
汚れたプールの水に少しばかりきれいな水を注入しても一気にきれいにはならない。そう言えないこともありません。
それでも、諦めずにきれいな水を入れ続けること。それ以外に汚れを薄める方法はないでしょう。
こう考えたらどうですかね。
心を静かに保つと、澱が底に沈んで上は澄んでくる。ちょうどどぶろくのように。
そこにきれいな水を入れたなら澄んだ水を保てる。
怒りも憎しみも邪悪な心も嫌な思い出も、澱として底に沈めておく。
なくなりはしないけど、心の表面は澄んだ状態でいられる。決して撹拌しない。
どぶろくは澱も混ぜた方が旨いけどね。
何かの拍子に澱が湧き上がってくることもあるけれど、知らんぷりして放っておけばやがて沈んでいくでしょう。
心を鎮めるには坐禅がいいです。

今年の大般若会も集中講座も決行することに心を決めました。
私が心を決めても状況によってどうなるかは分かりません。
でも、「やる」という意志の下で考える姿勢をとりたいと思います。
そろそろ顔をあげて、前向きなファイティングポーズをとろうと思うのです。
感染に気をつけながらやれる方法はあるでしょう。
方針を決めて動きながら考える。それが私のやり方です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。