三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第308回。4月4日、日曜日。
3月は大相撲があり、高校野球があり、サッカーのテストマッチも何戦かありました。
スポーツの観戦好きには楽しみが多かったのですが、全てが終わり祭りの後のような寂寞感があります。
4月に入りました。
本来ならここでオリンピックへ向かう高揚感で盛り上がるのでしょうが、聖火リレーさえも無観客だったりお断りされたり、何をしているのだろうかというような寂しい感じです。
しかし、今回のオリンピックぐらいケチが付いた大会はないでしょうね。
指折り数える指が足りないほどです。いちいち思い出すのも嫌になります。
何が悪かったのでしょう。
「アンダー・ザ・コントロール」から始まって、原発事故から目をそらすために使われたような目的がよくなかったでしょうか。
政治利用しようという見え透いた魂胆が間違っていたでしょうか。
スポーツの祭典をオリンピックというビックマネーが動く経済活動に祭り上げて、一部の人たちにブラックマネーが流れるようなことがそもそも冒涜だったのでしょうか。
直前にまで来て、開催国民の半数以上が開催に疑問を感じるような「祭典」は果たして祭典と呼べるのか。
コロナの影響はもちろんありますが、オリンピック・パラリンピックの意義そのものが問われ始めているのだと感じます。それはそれでいいことかもしれません。
もちろん、開催され始まってしまえばそれなりに盛り上がりはあるでしょう。
しかし、経済活動を目的とした開催は結局経済活動で痛い目にあうような予感がします。
スポーツも文化も人間を豊かにするものです。この場合の豊かさは人間そのものの豊かさで、経済の豊かさではありません。
人間の豊かさと経済の豊かさを混交して見誤ってしまうことが間違いのもととなるでしょう。
テレビというものを通してスポーツを観ることで、スポーツがスポンサー収入の商品となり、商品には値段が付き、不正や薬物投与などの温床になったかもしれません。ある意味テレビの功罪ですね。
地球温暖化の問題で産業革命前に戻れと言っても無理なように、オリンピックも古代ギリシャには戻れないでしょう。
戻れないほどに長い時間かけて現在があるのですから。
ただ、原点は何かを踏まえて修正していく智慧は人間が持ち合わせるものと信じます。
世界の経済のビジョンに成長という路線はもう既にないでしょう。コロナの後はそれがますます明確になってくると思われます。
成長ではなく、徐々に下降していく、その過程はきっとつらいものでしょうから、抵抗があって今以上に格差も生まれる。暴動や紛争、もしかしたら戦争も起こるかもしれません。
しかし、できればそうならずにある程度のところに軟着陸できないものかと思うところです。
人間的な豊かさという方向に価値の舵を切れば、できないことはないはずです。
それは、地球環境的にも無理のない方向だし、スポーツや文化の純粋性にも寄与するでしょうし、社会の安定と個人個人の幸せにもつながると思うのですが。
人間が生きるためにお金は必要ですが、それは人間的な豊かさのために使われるべきです。
私腹を増やすためのお金儲け、お金のためのお金儲けは人間の豊かさを失っていきます。
お金の使い方の目的が間違っていれば、経済活動そのものが悪だということにもなりかねません。
『論語と算盤』のような話ですか。
何だか変な方向に話が行ってしまいました。これぐらいにしておきましょう。
さて今日は、8時半から鶴楯の整備作業があります。創る会の会員が集まって参道の整備と伐採作業を行います。
昼前には法事が3件あり、午後からは寺の総代会役員会があります。その後孫の入学祝をします。
雪解けとともに一気に動き出した感じです。
田舎が田舎の中だけで動いていれば、コロナもさほど恐いことはありません。
ただ、家族が家族の葬式にも参列できない現状は心が痛みます。
そのストレスが、いつか別な形で表れてくるのではないかと心配されます。
やはり移動は必要ですね。自由に移動できることを願わずにはいられません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
3月は大相撲があり、高校野球があり、サッカーのテストマッチも何戦かありました。
スポーツの観戦好きには楽しみが多かったのですが、全てが終わり祭りの後のような寂寞感があります。
4月に入りました。
本来ならここでオリンピックへ向かう高揚感で盛り上がるのでしょうが、聖火リレーさえも無観客だったりお断りされたり、何をしているのだろうかというような寂しい感じです。
しかし、今回のオリンピックぐらいケチが付いた大会はないでしょうね。
指折り数える指が足りないほどです。いちいち思い出すのも嫌になります。
何が悪かったのでしょう。
「アンダー・ザ・コントロール」から始まって、原発事故から目をそらすために使われたような目的がよくなかったでしょうか。
政治利用しようという見え透いた魂胆が間違っていたでしょうか。
スポーツの祭典をオリンピックというビックマネーが動く経済活動に祭り上げて、一部の人たちにブラックマネーが流れるようなことがそもそも冒涜だったのでしょうか。
直前にまで来て、開催国民の半数以上が開催に疑問を感じるような「祭典」は果たして祭典と呼べるのか。
コロナの影響はもちろんありますが、オリンピック・パラリンピックの意義そのものが問われ始めているのだと感じます。それはそれでいいことかもしれません。
もちろん、開催され始まってしまえばそれなりに盛り上がりはあるでしょう。
しかし、経済活動を目的とした開催は結局経済活動で痛い目にあうような予感がします。
スポーツも文化も人間を豊かにするものです。この場合の豊かさは人間そのものの豊かさで、経済の豊かさではありません。
人間の豊かさと経済の豊かさを混交して見誤ってしまうことが間違いのもととなるでしょう。
テレビというものを通してスポーツを観ることで、スポーツがスポンサー収入の商品となり、商品には値段が付き、不正や薬物投与などの温床になったかもしれません。ある意味テレビの功罪ですね。
地球温暖化の問題で産業革命前に戻れと言っても無理なように、オリンピックも古代ギリシャには戻れないでしょう。
戻れないほどに長い時間かけて現在があるのですから。
ただ、原点は何かを踏まえて修正していく智慧は人間が持ち合わせるものと信じます。
世界の経済のビジョンに成長という路線はもう既にないでしょう。コロナの後はそれがますます明確になってくると思われます。
成長ではなく、徐々に下降していく、その過程はきっとつらいものでしょうから、抵抗があって今以上に格差も生まれる。暴動や紛争、もしかしたら戦争も起こるかもしれません。
しかし、できればそうならずにある程度のところに軟着陸できないものかと思うところです。
人間的な豊かさという方向に価値の舵を切れば、できないことはないはずです。
それは、地球環境的にも無理のない方向だし、スポーツや文化の純粋性にも寄与するでしょうし、社会の安定と個人個人の幸せにもつながると思うのですが。
人間が生きるためにお金は必要ですが、それは人間的な豊かさのために使われるべきです。
私腹を増やすためのお金儲け、お金のためのお金儲けは人間の豊かさを失っていきます。
お金の使い方の目的が間違っていれば、経済活動そのものが悪だということにもなりかねません。
『論語と算盤』のような話ですか。
何だか変な方向に話が行ってしまいました。これぐらいにしておきましょう。
さて今日は、8時半から鶴楯の整備作業があります。創る会の会員が集まって参道の整備と伐採作業を行います。
昼前には法事が3件あり、午後からは寺の総代会役員会があります。その後孫の入学祝をします。
雪解けとともに一気に動き出した感じです。
田舎が田舎の中だけで動いていれば、コロナもさほど恐いことはありません。
ただ、家族が家族の葬式にも参列できない現状は心が痛みます。
そのストレスが、いつか別な形で表れてくるのではないかと心配されます。
やはり移動は必要ですね。自由に移動できることを願わずにはいられません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。