Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

引用だけ‥‥

2009年12月04日 03時30分44秒 | 読書
この間の読書
①図書12月号(岩波書店)
②大伴家持(北山茂夫、平凡社ライブラリー)
③死者の書(折口信夫、中公文庫)
④高校数学でわかるフーリエ変換(竹内淳、講談社ブルーバックス)
読書スピードがあがらず恥ずかしい。集中力がない。大いに反省中。
① 気になった個所、記憶にとどめたい文章
・「辞書引きのコペルニクス的転換」では「辞書を引くことの意味は“分からない言葉を調べ、分かるようにする”指導を反省し、“分かっている言葉を調べ、分かっていなかったことに気づく”も、楽しみ方であり、学び方である」(深谷圭助)…私も小学生・中学生の時はそのように辞書・辞典にずいぶん親しんだ。
・宮本常一の朝鮮戦争下での対馬調査エピソードの「「寄りあい」と朝鮮戦争」(坂野徹)
・「漱石は「柿」だった」(坪内稔典)
・「詩の授業 切れをめぐって」では「やまとうたの歴史はその切断の極みにおいて、からうたというかたちで遠い母胎であるユーラシアを希求した。それもまたやまとうたの歴史の必然」(高橋睦朗)
・「カルマンの渦列、アイオロスの風袋」の最後の部分「ユリシーズのジョイスが風の言語に感応してつぶやく脚韻の双子たち。日常的意味の剥離の涯てで、これらの双子の単語たちは、たしかに風の言語の韻律を通じて再び肩を組み合っている。ジョイスの地口=箴言に、奄美の螺旋形をした法螺貝の低いドローンが重なる」(今福龍太)
・「1月1話」では「「もてあそばれた気がする」と言った岩永章(広島・長崎で二度被爆した医師)は、2発もったから2発とも使うという米国の事情を探りあてていたと思う。科学が国家と結んで人間をもてあそぶ時代の幕開けだった」(鶴見俊輔)