Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」から Ⅴ「外交官の家」

2009年12月28日 23時58分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」(1991年刊)から5回目。絵はさとうてるえさん。文章は不肖Fs。
 山手本通りの西のイタリヤ庭園にブラフ18番館と共に建っている。玄関ホールの磨きこんだ木の重厚な色合いに圧倒される。そしてステンドグラス風のガラスを通して差し込むやわらかい光に心がフッと和むのを感じる。訪れたのは秋といってもまだ暑い日だったが、強い日差しが適度な光に変身する仕掛けに感心する。
 広い二つの客間にびっくりするが、私は八角形のサンルームと付属する廊下に興味を持った。客間の窓に鎧戸が付き、外側の廊下には鎧戸がない。廊下とサンルームは屋外として設計されている。ベランダ全体に窓ガラスがはめ込まれたようだ。
 サンルームは外から見ると三層で、最上階は展望台。現在の位置からは横浜の港がよく見えて、明治の外交官の家の引退先としてはなかなかの場所だ。洋風の庭園もこの建物にぴったりだ。
 食堂は客間に比べて小さめだが、一番びっくりしたのは、扉ひとつあけた配膳室の粗末なつくり。説明書を見ると使用人の部屋・厨房は洋風建築ではなく、和風の屋根の建物で、かなり質素なものであったようだ。使用人に対する当時の処遇の有り様や、食・衣など生活の基本を支える部分と、華やかな表の世界との落差にあらためて驚いた。
 男子を除き3人の女子は、嫁ぎ先のことを考え、使用人の部屋の2階に和室を使用させ、夫婦と男子はこの畳の無い洋風建物部分にすんだという。

外交官の家:明治大正の外交官内田定槌氏が渋谷区に建てた住宅を1997(H9)年にイタリヤ庭園内に移築、同年国の重要文化財に指定され、資料館として開館した。明治時代の高級官僚の豪奢な資力が偲ばれる。設計者J.M.ガードナーはアメリカの建築家で、立教大学なども設計した。


 昨日深夜過ぎまでかかって年賀状作成がようやく終了し、投函。