Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

師走の読書

2009年12月30日 23時56分41秒 | 読書
昨日の読了
「図書1月号」(岩波書店)
 気になったもの、惹かれた箇所は、①「プラトンの優れた子孫 加藤周一」(ロナルド・ドーア)、②「寺田寅彦の耳」(高橋世織)、③「文章との出会い」(山田太一)、④「不思議な少年」(大江健三郎)、⑤「年取りの柿」(坪内稔典)、⑥「風のアリア」(今福龍太)、⑦「アンソロジスト家持」(高橋睦郎)
①:「(加藤周一は)他人の主観的動機を推定する手がかりとして、自分自身の過去の主観的経験のさめた客観的分析を利用してあたるという接近方法がその特徴だった。そして「似たような心理」という概念を利用」「似たような心理、似たようなメカニズム、似たような形容を認識することは、結局「比喩」を駆使する文学的能力につながる」。
 これは私自身が手放してはいけない方法論としていつも考えていることを、ロナルド・ドーア氏が語ってくれたものと理解した。加藤周一の方法論についての判断を、私はするほどの読書はしていないが、そういう信頼はしてもよい方ではあると思っている。
②:「『人間のいろいろの経験や、また考えたことなどが、ある時間を隔てて再び意識の中に顕れるものだとすると、今の瞬間の自分の意識の中に含まれるものは、過ぎ去った歴史の後響(あとひびき)の複雑な集まり』(寺田寅彦)のようなものであって、本誌の少し前の過去の音を集めた雨音経験と酷似していよう、との指摘にいたる箇所など、響の思索家の面目躍如である。後響とは、言い得て妙な、寅彦用語である」
 寺田寅彦の随筆は中学校の教科書でしか読んではいないが、雨の音の分析から始まる寺田寅彦の世界とやら、もう一度体験したくなった。
③:魯迅の「父の病気」の引用から始まる。魯迅を久しぶりに思い出させてくれた。
④:大江健三郎の連載開始に期待。
⑤:やはり俳句の論考は気になる。
 「菅浦は琵琶湖の奥の秋の村」「菅浦に知人はないが柿たわわ」こんな立派な俳人でも、この程度の句を著作に掲載されるのだから、私も俳句に携わってみたくなる。
⑥:家持と万葉集についてはただいま勉強中なのでうれしい。

一昨日の購入本
「天孫降臨の夢」(大山誠一、NHKブックス) 、
「写真的思考」(飯沢耕太郎、NHKブックス)、
「信長の天下所司代」(谷口克広、中公新書)

「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」から Ⅶ「山手聖公会」

2009年12月30日 10時26分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ゴチック風のカトリック山手教会の薄緑の尖った塔と対照的に、どっしりしたイギリス中世のノルマン風の四角い、無骨ともいえる塔が特徴。
 元は尖塔があったとのこと。今は下から見ると塔の上部が大きく張り出して見える。頂部の切れ込みようのデザインがアクセントとなって、城砦を思わせる。住宅地に不釣舎な、硬質で剛直な印象だ。尖塔の有る無しでこんなにも印象が違うものなのかといつも思う。
 開港してすぐに住みはじめた西洋の人々、多分アジアやアフリカと同じように日本での振舞いを想定していただろう。山師のような人も(その方がむしろ)多かったであろう。野蛮な国に住む以上、自らのアイデンティティのよすがとして、そして身に危険を感じたときの避難の場所として、教会は存在したと思う。
 まずはじめに建てるものとして教会、これに費やした労力と財力はかなりのものであったろうと想像する。
 それにもまして、これを建てた職人は多くの日本の大工・石工達と思われる。古代から続く神社仏閣の造営や城建築での大工、新築はほとんど無かったと思われるが江戸時代の城普請やで培われ続けた石工、これらの職人たちの技量の高さと応用力に敬服するばかりだ。
 内部はステンドグラスも無く、日常の生活空間や集会場と変わらない感じがする。長椅子がなければ祈りの場とはわからない。不思議な雰囲気がある。
 道路際ぎりぎりに建ち「もう少し広い空間を与えてあげたい」と見るたびに思う。いかにも窮屈そうだ。あるいはそれをねらっての空間配置なのだろう。
 港を見下ろす山手本通りの尾根道だが、今では港の高層ビルから見下ろされる位置にある。それを見越して、脱帽するように尖塔を自らそぎ落としたようにも見えるのは、感傷に過ぎるだろうか。


コスモスの揺れを従え神の城 〔Fs]



 夜、それも寒い夜にこの教会、それも尖塔を有している元の形で見上げたらどんな感じだろうか。どういうわけか、昼間訪れてもこんなことを思ってしまう。

オリオンを壁に映して黒く建つ
     かの教会堂に影凍てる 〔Fs]