Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

月を見る

2010年04月01日 19時11分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 「昨夜は満月でしたね。日中の強風のおかげで月は冴え冴えと、そのぶん星の光がワリを喰ったようでした。望月よりも、いくらか欠けた月に何故か心惹かれるこの頃です」と「時には本の話でも…」というブログ(ブックマーク参照)に掲載された文章、私にはとてもうれしい文章だ。

 人がしみじみと月を見なくなってどの位たつのだろうか。こんなことを記述してから、自分ながら実につまらない愚問だと気づいた。
 時計というものが普及し、月の満ち欠けによらない暦が生活の中心になり、電灯が広範囲に普及し、徐々に月の満ち欠けに対する実用・関心が薄れて行くに従い、月を眺めることは少なくなる。月に付随する情念、情緒も解体してゆく。これは社会的な流れだ。そしてその流れは今よりは時間をかけて列島各地を不揃いに進行した。地域によって、人によって、職業によって、信仰によって、大きな差があるだろう。
 個人史をとってみてもこの不揃いの地域間の移動によって大きな変成をうける。そして成長過程での興味の変遷の作用も違う。同じような時期に同じような光景の月をみても印象はちがう。時間と空間の変容を射程に入れない理論は信用してはいけないというのが最低限の基準だ。唯物史観はこの変容を内包していたはずだが、時代の制約のなのか、生きた大切な部分の肉付けを拒否されるように捨てられてはしまった。そうして人間的な部分全体が消えて、機械的な、機能主義的な無味乾燥なものに変容して捨てられた。

 私にとっての月の最初の記憶は、実は小学校入学直後に買ってもらった図鑑に記された太陽系の全体図の中の月だ。そして月の満ち欠けの解説図による月だ。月を見たことはあったはずだが、特に記憶はない。図鑑を見ながら「ああ、これが月の正体だったのか」というような思いを抱いたと思う。 実際の月の印象はそれからもない。夜に外に出ることを禁じられていたかもしれない。滅多に夜間は外出することもない北海道函館市で、たまに家族で夜間に家を出るときは繁華街で当時としては明るい電飾の中で、星も月も印象に残るようなことはなかった。その後川崎市内の中心部に小学3・4年生を過ごしたが、ここでも実際の月の記憶がない。
 実際の月をじっくりと眺めた記憶は、横浜という都会の郊外に父が家を購入して住んでからだ。私鉄で一駅乗らなければ通えない小学校の帰り道に、畑の中を歩きながら見た月、朝登校途中に丹沢や富士の傍にあった月、6年生になって横浜中心部までの塾に通いながら夜8時過ぎに街灯もない真っ暗な道を月明かりをたよりにとぼとぼと帰った道の記憶、これが具体的な月の記憶だ。季節感や生活感とは切り離されてはいるものの、やわらかい月の光を、自分をすべて包み込んでくれるような母性的な意味合いで感受したと思う。あくまで大人になってからの思い起こしであるが‥。
 天文少年であったが、私は星を見たり、星座を覚えるよりは、星や銀河の生い立ちや宇宙論、そして星座にまつわるギリシャ神話に心ときめかしていた。反射望遠鏡を手にいれ、二重星や銀河、あるいは惑星をいくつも見たが、それほどの感動はなかった。月を見てその凸凹と周辺の陰影は大変興味深かった。今思うと、モノクロームの写真の陰影の持つ不思議への、美的な感動に近かったのではないだろうか。
 今から思うと、私の天文学へのあこがれは、理論ではなかったのかもしれない。志がかなわなかったことへの腹いせではないが、私の甘さでもあったろう。

 さて月に話を戻すと、大学生時代の月は大学のバリケードの中で見る孤立した心情と相和すものだ。光は柔らかいが冬の夜空にくっきりと浮かぶ緊張気味の鋭い形の金属片にも似た形だった。東京のデモで見る月も同じだ。
 就職後仕事&「仕事」を終えた後、疲れて見上げる月を毎晩見るようになった。疲れをいやす方途としては、仲間とのアルコールもあるが、夜中に徒歩で歩いて帰る途中公園のベンチで一休みしながら見上げる月は、蛍光のように静かに体を射抜いて、自分をさらけ出してくれるような光を発していた。意外と素直にさまざまな反省をそこではすることができた。尖がった自分の矛を柔らかくしてくれるようなものとして感受していた。
 そんな中でも、好きな月の場面が次第に形作られてきたと思う。満月より2~3日前か後の月、三日月よりも半月に近い形。これが冬の葉の落ちた樹木の間にあるのが好みになっている。ゆっくり歩きながら、細い梢、少し太い枝の影が月の前面をよぎっていくのが心落ち着く。あるいは公園などのベンチで月が少しずつ移動したり、風で枝が揺れながら月と戯れているのを見るのは、時間を忘れる。葉が出てきてしまってはつまらない。あの繊毛のような細い梢や枝がいいのである。冬よりも今時分、寒さが緩るみ春の暖かさが押し寄せている頃は特にうれしい。
 こんな状態で月を見ていると、早世した友人や先輩の若いころのままの顔が浮かび、当時の会話を思い出す。むろん30年もたっているから勝手な潤色や思い入れ、思い違いがあるはずだ。それでも構わない。事実と思えるものがあればそれが事実だ。そうしながら今の状態をどうするか、対話をする。このときだけは私は気持ちの上で饒舌となる。ひょっとしたら、はたから見るとブツブツいっている危うい酔った年寄りに見えるかもしれない。そんなことにはかまっていられない。
 大半のことは、腰をあげて家に着くころには忘れている。それでもこの充実した時間は貴重だ。私にとっての至福の時間の一種だ。私の回生の一瞬でもある。