Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

春の雨を聞きながら‥

2010年04月17日 12時01分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりにゆったりとした気分で朝を迎えた。朝6時、雨の音で目が覚めた。夕べ22時頃からの強くなった雨が降り続けていたらしいとわかった。昨晩は寒かったのが体でも、頭の中でも、記憶していたためか立春後の春の雨の趣と捉えていた。枕もとの携帯でニュースをのぞいたら相模原で積雪との情報に、あわてて窓の外を見たが横浜では雪とはなっていなかった。数年前ならば、油断して職場に駆けつける時間を逸したことになるが‥。
 しかし、寝室の窓の庇から落ちる雨の様子は、立春後の春を告げる雨にしては少し強すぎる感があった。それでも仕事の山をとりあえず越え、先が見えてきたためか、気持ちに一応ゆとりが出ているのだろう、雨の音が心地よく響き、二度目の眠りに誘ってくれた。
 夕べ、21時ごろから1時間半ほど居酒屋で「隣のやまい」(中井久夫)を読んでいた。呑むピッチが速すぎて、実質読んでいた時間は20分くらいだったろうか、後はいつものように酔いに身を任せて、店の喧騒に耳を傾けながら、ボーっとしていた。豆腐にかかっていた葱のキザミの残りと乙類の焼酎を舌に転がしながら。
 ふとカウンター席の隣の三人グループの50代半ば前のサラリーマンが、一緒に来ていた二人の30代の若手に「お前たちのしあわせせって何だ?」と聞いた。この時までこの人の話は耳に入ってこなかったから、3人の会話の内容は覚えていないが、突如耳に入ったから語調が少し変わったのだろう。ゆったりとした語り口だった。思わず私はびっくりしてそちらに神経を集中した。
 最近のサラリーマンのグループの居酒屋での会話は、耳にするのも嫌なものばかりだ。そこにいない同僚の悪口ばかり、それも徹底的に攻撃する。はっきりいってこれでよく「仲間」として付き合っているな、と思う。戦争で相手をののしるような水準である。特に営業関係がひどい。これでは職場の円満な運営などありえないだろうと思うが、競争心をとことん突き詰め、コスト至上主義が蔓延する中、サラリーマンが自分で自分たちの首を絞め合っていることがよくわかる。
 そんな風な会話とは明らかに違った語調の問いかけだった。「お前たちのしあわせせって何だ?」。私の隣の方の言葉だったのでそれを発した時の顔の表情は見逃した。
 問いかけをされた連れの30代二人の答えは早かったが、私には実につまらない回答だった。「仕事が片付いて○○さんとこうして飲みに来ること」「あんな部長をはやくおいだすこと」。私がちらっと50代の男性の横顔を見たが、「口を少し尖らせた」顔をした。そしてちょっとの間をおいて、「じゃ3時間もたったからもうお開きにして、来週楽しく飲もう」といって勘定を払い始めた。30代二人はだいぶ出来上がっていたようで素直にこのことばにしたがって連れ立って、急な階段を降りて帰っていった。
 私にはあの時の、「口を少し尖らせた」表情・顔からは「つまらない答えを聞いた」という落胆と、「お前らもう少しまともな人生を考えろ」という叱咤を感じた。私にはこの50代の男が仕事でも組織運営でもそれなりの誇りと自信、そして周りをまとめる力量を感じた。同時におそらく仕事以外の自分の城・領域を持っている人に感じた。
 私も勘定を済ませて、この方の後をつけてどんな暮らしぶりなのか見てみたい衝動に駆られた。今時の居酒屋でのサラリーマンの会話とは明らかに異質で、私には好ましい人柄に見えたからだ。その衝動をこらえて、しばらくさらにボーっとしていた。窓から強くなった雨音が聞こえてくるのに気付いた。客も満席からいつの間に半分くらいに減っていた。
 一人で居酒屋にいると些細なことで感傷的になってしまうこともある。今回もそんなことのひとつのエピソードでしかないだろうが、傘を差しながらの帰途も妙に心に残った。「口を少し尖らせた」表情がとてもさびしげに脳裏に焼きついた。その会社が自分の居場所とは違うと感じている表情だったのかもしれない。あるいはサラリーマンということにそもそも違和を感じている人なのかもしれない。
 しかし同時になかなかに懐の深そうな立ち居振る舞いに見えた。私もそのような振る舞いが出来ているであろうか。しかもそのような問いかけをして、会話が成立する職場にしてきただろうか。
 相手が人間だから自分の思うようには組織も人も動かないのが前提だが、その組織に貢献が大きいという思い込みが大きかったり、長年その組織にいたり、その組織の責任者になると、自分の思い通りになるという錯覚に陥る。先の「幸せってなんだ」という問いかけは、若手の30代の職員にそのことを理解させようとした問いかけだったのかもしれない。
 組織は思い通りには動くものでもなく、そうしてはいけないものであり、組織の運営上広い選択枝を用意する懐の深さがあるということの必要性、自分とは異質の人間の必要性を、組織の前提として教えたかったのかもしれない。自分の組織がそのように選択肢が広くあり、いろいろな人材がいることがその組織のサラリーマンにとっては「幸せ」であるはずなのだ。

 さて「私にとって幸せ」と何かについては、答えが無いのが実にさびしい。夕べ帰宅後風呂の中で「俺にとって幸せ」をあらためて聞かれたら何と応えよう、と考えた。
 平日は、職場の中での軋轢がなく過ごせ、土日祝日に晴れて、午前に2時間10キロのウォーキングをして、昼においしい焼酎のお湯割り一杯かお酒を1合と盛り蕎麦一枚を食し、午後も3時間15キロのウォーキングとサウナつきの広いお風呂にゆったりと2時間かけて入り、夕食にやはりおいしい焼酎のお湯割り二杯か、生ビール一杯とおいしいお酒を1合に少しずつ肉と魚と豆腐のつまみをいただき、早めに寝ること。後は、自分なりに満足できること俳句が出来たとき。
 こんな程度のものかもしれない。

 そんなことを考えながら帰宅したこと、帰宅後風呂で雨音を聞きながら考えたことを、雨の音で思い出した。
 雨を春を告げるものとして聞き、居酒屋の会話が否定的でないものとして心に残り‥ということは、私の方の仕事の区切りも見えて心にゆとりが出来た証ということだろう。