Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

桜に寄せる

2010年04月05日 06時32分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、厚い雲に覆われ、二時頃にはすぐにやんだものの、軽く雨が降ってきた。私は朝から横浜北部の農専区域をめぐる約18㌔のコースを歩いた。畑や農家の庭には点々と多種多様な桜がさまざまな色合い、枝振り、幹の張り具合、葉の出方を競って咲いていた。それも梅や海棠などに混じって。いろいろな桜と、その外の花木を堪能することができた充実した日となった。
 農家はいろいろな花木で春を、春の微妙な差異を、感じているはずだ。自然の微妙な時間の流れや差異を様々な植物やそこに集まる動物で感受する昔からの知恵があるのかもしれない。
 しかし隣接する団地や工場敷地、高速道路、公園、学校などは、ソメイヨシノ一色である。桜は接ぎ木で増やすから、ソメイヨシノのしかも同じ木の遺伝子のものが大量に同じ場所に植えられている。だから一斉に咲く。一種類の、しかも同じ家系のソメイヨシノの群落。
 これほど多様性を拒否した植生は、本来自然とは相容れないものである。それ以上に、桜を楽しむ心性のなんと貧困なことかと、嘆きたくなる。
 いつからこんな画一的な心性を列島に住む人々はいつから示すようになったのだろうか。少なくとも江戸時代後期以降ではないか、私は多分に明治以降であろうと独断かもしれないが推察している。
 確かにぱっと咲き、散り際の見事さはソメイヨシノに勝る桜はない。また夜桜の見事さもソメイヨシノならではのものがある。しかし列島からソメイヨシノ以外の桜が駆逐され、さまざまな桜が植物園の片隅に絶滅危惧種としてわずかに保存される事態だということが喧伝されるようになった。これは外来動植物の猛威以上の人為的な自然破壊であり、多様で豊かな植生とそこに生まれた文化の終焉を意味しないだろうか。
 ソメイヨシノ偏重は「大和ごころ」とはまったく相容れないものではないだろうか。近くで見る桜、遠めに鑑賞する桜、低山に控えめに咲く桜、それらのすべてが桜の実相だ。ひとつの側面だけでは桜の魅力は語ることはできない。
 今日私がみた団地には梅も辛夷も海棠も見えなかった。団地を造ったときの予算とセンスか、その後の維持管理の都合かはわからないが、悲しい現実である。実は私の住む団地も同じようなものである。ほとんどがソメイヨシノで、枝垂桜と八重桜が2~3本ずつ。そのほか色の濃い桜でソメイヨシノと同時期に咲くものが1本。
 団地の外に目を移すと、目の前の中学校には紅白の枝垂れ桜があり、山桜もある。中学の隣の大規模マンションの周囲と提供公園はソメイヨシノばかり。
 学校の桜はどれも戦争中に植えられたものが多い。公園の桜もそうだ。そしていづれもソメイヨシノだ。戦前の偏狭極まりない天皇制ナショナリズムを支えた底の浅いがさつな心性が、今も蔓延してはばからない。桜にとっての不幸はこのような歴史の負の遺産を背負わされてしまったことなのだと思う。桜には罪はない。西行の桜への思い、それはこんな金太郎飴の桜の相とは違うものであるはずだ。
 もう一度桜というものを考え直す時期ではないだろうか。