さまざまなニュースが飛び交い、政治も社会も経済も混沌の進行が急加速だ。その中で今朝、NHKはニューヨークの紹介特集で「スペースシャトルをニューヨークへ」というような話題を提供していた。
要は引退するスペースシャトルをニューヨークに展示して9.11以降減少する観光客数に歯止めをかけようという運動が、州知事を巻き込んで行われているとの報道だ。だが、私が唖然としたのは、その展示スペースが退役空母上であり、アメリカ軍の歴代の退役戦闘機の展示スペースであるということである。
子供を含めたキャンペーンに州知事が出ているのは愛嬌としても、アメリカ人の持つ、無神経さ、図々しさ、押し付けがましさ、鼻持ちならないあつかましさ、他の国に対する配慮の無さ、がそのまま反映したものに思えた。展示している艦載機は、獰猛な動物の模様を施され、それらの武器が威嚇し、殺し、抑圧した人々があり、このことへのこれっぽっちの痛みも匂わせていない。
さらにその空母上でアナウンサーに取材をさせるNHKの撮影姿勢にもまた私には慄然とした。
9.11が何ゆえ行われたのか、何ゆえベトナム戦争で敗北したのか、イラクは何だったのか、アメリカという国のどうしようもない思いあがりと根深い病、どの国よりも遅れた偏狭な底辺からのナショナリズムを見せ付けられた。同時にアメリカ社会の二重性、後進性もまた再び垣間見た。何年か前の巨大台風被害の報道で、南部の小学校の教師が「他の国とは違いアメリカは救援がすぐ行われる」と児童に「説教」をたれていたが、日本よりは余程遅れた災害対応に私には見えた。別に日本の災害対策を称揚するつもりはないが、アメリカが災害対策で他国より優れているとは思えない。このような思いあがりを喧伝する国は、みずからが「救援依頼」をする立場に立つこともありうることを素直に認めなければならない。他の場面では、だれからもそっぽを向かれる種を蒔いているだけである。
あえて言わせてもらおう、心の中も含めて9.11の事態に「快哉」を叫び、溜飲を下げた人々が多数おり、「ざまみろ」と思った人間が世界中いたるところにいたことは事実である。あの犠牲者はテロの犠牲者であると共に、アメリカという国の今の立場、世界の立場からのしっぺ返しであることも事実である。犠牲者は二重に犠牲者である。
テロを擁護する気はさらさらないが、アメリカという社会は、戦後のさまざまな事件からは何事も学んでこなかった。おそらくこれからも何事も学ばず進むだろう。日本もアメリカのまねをしつつ、謙虚に学ばない国になってしまっているとつくづく思う。
私は宇宙開発が奇麗事ではなく、軍事開発や国威発揚、そしてアメリカという国の戦略的な経済戦略、ということなどと決して切り離されていないことは承知をしたうえで書いているつもりだ。しかし科学技術の先端としての位置づけの中で、国際社会の中での一定の位置づけを考えるならば、退役空母上や、退役戦闘機に混じった陳列など避けることが必要であろう。そんな配慮もできない「キャンペーン」など、取材するものではない。否定的な部分も含めえぐるのが報道機関の役割であるとしたら、何とも情けない取材姿勢である。
要は引退するスペースシャトルをニューヨークに展示して9.11以降減少する観光客数に歯止めをかけようという運動が、州知事を巻き込んで行われているとの報道だ。だが、私が唖然としたのは、その展示スペースが退役空母上であり、アメリカ軍の歴代の退役戦闘機の展示スペースであるということである。
子供を含めたキャンペーンに州知事が出ているのは愛嬌としても、アメリカ人の持つ、無神経さ、図々しさ、押し付けがましさ、鼻持ちならないあつかましさ、他の国に対する配慮の無さ、がそのまま反映したものに思えた。展示している艦載機は、獰猛な動物の模様を施され、それらの武器が威嚇し、殺し、抑圧した人々があり、このことへのこれっぽっちの痛みも匂わせていない。
さらにその空母上でアナウンサーに取材をさせるNHKの撮影姿勢にもまた私には慄然とした。
9.11が何ゆえ行われたのか、何ゆえベトナム戦争で敗北したのか、イラクは何だったのか、アメリカという国のどうしようもない思いあがりと根深い病、どの国よりも遅れた偏狭な底辺からのナショナリズムを見せ付けられた。同時にアメリカ社会の二重性、後進性もまた再び垣間見た。何年か前の巨大台風被害の報道で、南部の小学校の教師が「他の国とは違いアメリカは救援がすぐ行われる」と児童に「説教」をたれていたが、日本よりは余程遅れた災害対応に私には見えた。別に日本の災害対策を称揚するつもりはないが、アメリカが災害対策で他国より優れているとは思えない。このような思いあがりを喧伝する国は、みずからが「救援依頼」をする立場に立つこともありうることを素直に認めなければならない。他の場面では、だれからもそっぽを向かれる種を蒔いているだけである。
あえて言わせてもらおう、心の中も含めて9.11の事態に「快哉」を叫び、溜飲を下げた人々が多数おり、「ざまみろ」と思った人間が世界中いたるところにいたことは事実である。あの犠牲者はテロの犠牲者であると共に、アメリカという国の今の立場、世界の立場からのしっぺ返しであることも事実である。犠牲者は二重に犠牲者である。
テロを擁護する気はさらさらないが、アメリカという社会は、戦後のさまざまな事件からは何事も学んでこなかった。おそらくこれからも何事も学ばず進むだろう。日本もアメリカのまねをしつつ、謙虚に学ばない国になってしまっているとつくづく思う。
私は宇宙開発が奇麗事ではなく、軍事開発や国威発揚、そしてアメリカという国の戦略的な経済戦略、ということなどと決して切り離されていないことは承知をしたうえで書いているつもりだ。しかし科学技術の先端としての位置づけの中で、国際社会の中での一定の位置づけを考えるならば、退役空母上や、退役戦闘機に混じった陳列など避けることが必要であろう。そんな配慮もできない「キャンペーン」など、取材するものではない。否定的な部分も含めえぐるのが報道機関の役割であるとしたら、何とも情けない取材姿勢である。