Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読書

2010年08月01日 22時51分00秒 | 読書
1.「図書8月号」(岩波書店)
2.「みすず8月号」(みすず書房)

1では「対談 言葉の整体」(加藤典洋・高橋源一郎)、「一年有半」(復本一郎)、「一粒の柿の種」(坪内稔典)、「鎮魂から新体の詩」(高橋睦郎)
2では「千人が手を」(小沢信男)、「老人医療の世界-精神医療過疎の町から9」(阿部惠一郎)
以上が心に残った。


香月泰男のシベリア・シリーズ(11)

2010年08月01日 18時06分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
煙(1969)

 題名の英訳では「Train Smoke」と明確に汽車の黒煙としている。
 「所属部隊のある東山台地から見下ろすハイラルの雪原を黒く太い煙を吐きながら、チチハル向けの汽車が走る。消えにくい汽車の煙が流れる遥か彼方に、奉天が、朝鮮半島が、そして更に日本海を経て、夢にまで見る故国がある。」

 私は初めどう見ても煙に見えなかった。題名の英訳を見ても何の絵かわからなかった。ようやく右上の汽車が吐き出した煙がとぐろを巻くように螺旋状に空に昇り、左下のあたりで煙が半透明になりかけているところかと合点した。一旦理解できれば、形はもう既知のような錯覚を与え、作者の言葉が迫ってくる。
 作者は、天皇ファシズムの野蛮な理念ならざる理念など鼻から眼中にはない。ないと言えばうそになるとするなら、歯牙にもかけていなかった。そんなものに生死を牛耳られ、人を殺すことを強いられ、抑圧者として中国の人々に嫌悪感をもって迎えられ、下手をすると銃口をそちらに向けなければならない場面に出くわされたかもしれない一市民である。
 戦況が極めて切迫していることは理解していただろう。そして敗戦を迎え、不安が最高潮に達し、捕虜としてシベリアに送られる中での不安と絶望、人間の負の場面を潜り抜けしたたかに生き抜いてきた経歴を持つ。
 私は、銃口を人に向けなければならないかもしれないという不安、戦争の先行きへの不安が昂進する状況を列車の進行とパラレルに見た。それは勘ぐり過ぎとの批判もあろう。しかし展覧会ではそのように見えた。

蝉時雨

2010年08月01日 10時56分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 梅雨明け後、いくつか蝉の抜け殻を見たり、蝉の死骸を見た。しかし蝉時雨といわれるような状態は昨日まで記憶になかった。梅雨明けの猛暑・酷暑は蝉にも過酷だったのか。
 昨日ようやく昼間にアブラゼミとミンミンゼミと思われる合唱を聞いた。昨日は一日中うす曇で日はほとんど射ささなかった。終日東の空に全体の2割ほどの青空がのぞいていたばかりだった。最高気温も横浜は31.6℃と、猛暑にはならなかった。
 そのためかどうかは蝉のみが知るのだが、ようやく蝉時雨となった。
 しかし夜中まで鳴き続けたり、騒がしいというものとは違う。
 蝉時雨に気づくとともに、昨日はウォーキングの途中、赤とんぼを見た。一匹だけだったが勢いよく赤い尾を見せびらかすように飛んでいた。しかしさぞかし暑かったこと思う。
 さて本日の蝉の声は断続的、そして単独の声だ。ベランダの前のケヤキの木の一匹、一声遠慮気味にないてすぐに鳴きやむ。それを繰り返している。
 今年は蝉の少ない歳なのだろうか。


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