Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「俳句」にまつわる読書

2010年08月05日 21時16分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 俳句については、子規や蛇笏の俳句を始めに習う。そして中学校の古文の時間で芭蕉の「奥の細道」を習う。私もそのようにして俳句に親しんできた。
 古文では平家物語と方丈記、奥の細道の冒頭の部分を暗記させられるのが普通だろう。暗記させられる文章としてはその外では「日本国憲法前文」くらい。英語でもいくつかの詩を覚えさせられたかもしれないが記憶にはない。私はいづれも今でもふと口ずさむことがあるし、忘れていてもその文章を眼にすればスラスラと次が出てくることもあり、良かったと思っている。
 さて「図書8月号」で高橋睦郎氏が、奥の細道について「目的は西行の鎮魂かといえば、そう取れなくはないがむしろ、西行より1年早くに衣川で庇護者であるはずの藤原泰衡に急襲されて死んだ源義経の鎮魂と考えるほうが自然でありましょう。事実、『奥の細道』の頂点は「夏草や兵どもが夢の跡」を含む平泉の段にあります。」「『奥の細道』は紀行文とされるが、それでいいか。その結構および結晶度の高さは、紀行文を超えてむしろ極めて独特な叙事詩、段ごとに発句という抒情詩を核に据えた叙事詩と捉えるべきではないか」と書いている。
 私もまったく同感だと思う。俳文としての語調・緊張は山寺や、月山での体験が二度目の山をなし、象潟を最後の山として、徐々に緊張感というか文章の完成度が下降していくような気がしていた。前半の大きな山は平泉であるとともに「奥の細道」全体から見て、初めから平泉までがとても完成度が高く緊張感に満ちた文章だと思っていた。
 「むざんやな甲の下のきりぎりす」は斉藤実盛を詠み込んでいる。西行が通奏低音のように響くのにのせて、義経の悲運の死を頂点とした源平の合戦のおりの武将逹の鎮魂というのは、私には大いにうなづける論である。