Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

高島野十郎の絵

2010年08月17日 22時58分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
蝋燭

 高島野十郎という人の絵を知ったのは最近のことだ。何年か前、確か新日曜美術館でやっていて知ったような気がする。最初月の絵を見たとき、坂本繁二郎の絵を思い浮かべた。青木繁・坂本繁二郎と同郷、ほぼ同時代的な世代と言うことも後に知った。
 「時には本の話でも‥」のブログで柏市の高島屋で短期間の展覧会があることを教えてもらったが、遠いので残念ながら見に行く余裕はなかった。私の手元には求龍堂の画集がある。せっかくの機会だったので画集を開いてみた。
 今回は特に二つの作品が印象に残った。本日の蝋燭のシリーズの中のこれがその一点。お皿の台があるのは珍しい。他の蝋燭の絵は、蝋燭がテーブルに直にのっている。しかし特に印象深いのは、炎が不安定に長く揺らぐ様を描いた作品が多いのに、これはその直前、ないし炎の揺らぎが収まった直後の絵だからだ。
 私は揺らぎの直前の様だと勝手に思っている。これから光り輝く前の一瞬の静寂を捉えたのではないだろうか。
 炎自体もきらびやかに光っておらず、落ち着いた光を放っている。背景の色も丁寧に塗られていて、他の蝋燭の絵よりも落ち着いて見える。それが私にはうれしい。テーブルの下の黒のコントラストもくっきりしている。しかもサインがある。本人も気に入った一点だったように感じている。
 本人のノートに

全宇宙を一握する、是れ写実
全宇宙を一口に飲む、是写実

道端、ごみだめにころがつて居てもはつきりと見える、
どんなにうたがつて見てもそうとしか見えないものが芸術品、

額ぶちに入れてかざれば何かいみがつくといふようなものは迷心品、
批評専門家は多くは迷心に落ち入つてゐる。

とある。

 高島野十郎という人、寡作・遅筆であったようだが、このような言葉を読むと、絵を通して「全世界を獲得したい」という切実な欲求の前に自らたじろぎつつ、緻密に絵を丁寧に描いた人のように感じる。長谷川リン次郎と言う人もそのような傾向にあったようにも思う。
 作者なりの「全世界を獲得」する営為が爆発的なエネルギーの噴出ではなく、地球深部の熱エネルギーがじわじわと熱伝導で少しずつ、しかし枯れることなく続いたような感じの絵が並んでいる。
 こんなタイプの画家が、芸術家が私の好みだ。