黒い太陽(1961)
「真夏の太陽は草原を焼くがごとく照りつける。夕方西南の地平を転ぶように沈む時、いつも大きく見えて美しかった。しかし敗色日に濃く、緊迫感を増すにつれ、太陽は自ら希望の象徴であることをやめたかのように、その赫光さえ失って中天に暗黒に見えもしよう。」
昨日書いたような背景で、敗色日に濃い時期を描いたと思われる。同時にシベリア・シリーズで太陽を描いた最初になると思われる。私の持つ47点のシベリア・シリーズではその後、朝陽(1965、(3)にて既出)、雨(1968、(10)にて既出)、青の太陽(1969、(2)にて既出)、日の出(1974)、月の出(1974)など太陽や月等を主題にして、中心にそれらを描くシリーズの先駆けである。作者には大きな印象を与えた主題のようだ。太陽も月も、穴から見上げる青空も、救いの象徴であり、これが曇ったり砂塵にかすむことは不安と絶望の予兆として描かれている。
すでに書いたが、香月泰男の絵は俳句的である。多くのものを削り、象徴的な題材を一点に絞り中心に据える。中心的な題材は暗喩のように不安と絶望の当時を執拗に描いている。その手法が私の好みと合致する。
香月泰男の回顧展は1995年3月から横浜のそごう美術館で開催され、この時のカタログによりこのブログを続けてきた。この展覧会ではシベリア・シリーズ57点の内、47点が出品された。その47点の内12点が敗戦日前に題材を得ている。
人は香月泰男のシベリア・シリーズは、名前からしてシベリア抑留を主としたシリーズと考えがちであるが、実に20%を超える点数が敗戦日以前に題材を得ている。このことが香月泰男の絵の価値を高めていると私は思う。戦争を実に総体として相対化していることと、そのために敗戦という不安の時期、抑留という不安と絶望と裏切りの時期を生き抜き、そして執拗にこれを絵にすることはできなかったと私は判断する。
とりあえず敗戦日前に題材を得た12点の紹介を終えたので、シベリア・シリーズの紹介は一旦休憩とする。残り45点を長々と続けるのも考え物と思い、残りは私の極めて印象に残っているものをいくつか抽出して紹介し、自分の感想を述べることとしたい。
なお、シベリア・シリーズ以外でも私の気に入った作品は幾つもある。それも時間が許すならば、感想をまとめてみたいと思っている。