-前回の2で書き漏らしたことの補足-
歩いて帰宅する途中、横浜駅の近くでこの区を所管とする私と同様の職場の現業職員が乗るトラックに追い抜かれた。もう深夜12時になろうかという時間帯であった。多くの人が行き交う中、私を見つけてトラックから私に声を掛けてくれた。
乗車していた仲間はいづれも私の組合の組合員で、くたびれていると思われるもののその明るい表情からその職場にけが人などはいないことを十分察することが出来た。そして「支部長の職場は解散が早いけど大丈夫なのかい」といってくれた。思わず「私などの年寄りは必要なかったようだよ」と返事をしたのだが、乗っているリーダーは私より一つ上で31日には定年となる仲間であった。私の返事が頓珍漢であったと反省をすると共に、現業の仲間がキチンと災害配備に位置づけられていることを実感し、とてもうれしかった。
現業職員というのは、自治体で働くいわゆる行政職の事務・技術職とは違い、「単純労務」と位置づけられた職員である。ゴミの収集や施設管理、道路・公園・下水道などの維持管理、学校用務・給食調理などに従事する。「単純労務」と規程されているが、各種施設の維持管理をはじめどの職場も行政の基本に精通していないとこなせない仕事であり、仕事は「単純」ではない。市民とも直接接する中で行政指導もこなさなくてはならない立場は、事務・技術となんら変わるところはない。
私共の組合は、この現業職員の業務が行政の一環としてキチンと位置づけられ、「単純労務」と落とし込められることなく、働きがいをもって業務に位置づけらるよう、組合再建以前も以降もひたすらそのことを具体的な要求提言を行い、人員体制の確保を使用者側に求めてきた。
災害時の現業職員の業務の位置づけは行政としてもっとも基本的な課題である。また、当該の組合員自信がそのことに自覚的になることがもっとも重要であると組合員にも訴えてきた。
この日、被害の大きかった横浜駅を所管とする職場の現業の仲間が、深夜でも走り回って業務をこなしていること、それも生き生きと携わっていることを目の当たりにして、私としては大変うれしかった。
降雪時や大雨、通常の小規模な事故などの日常の災害でも位置づけられていることは確認してきたが、この未曾有の災害時に存在感をしめした現業の仲間の存在は組合のこれまでの取り組みが無意味ではなかったとあらためて思われ、感慨深かった。ことに私に声を掛けてくれたトラックに乗っていたリーダーは昔私と同じ職場にいて、私にスポーツというか体を動かすことの楽しさを教えてくれた恩人でもある。
その時の状況から、あらためとこの震災の日と、それ以降の後処理で各職場の現業職員の位置づけについて後日組合として点検をしたが、どの職場も当然のように現業職員が第一線に位置づけられ、特に初期対応で大きな存在感を示していた。大変うれしかったことを今でも覚えている。
現業職員は議会やひどい政党などからいわれのない業務切捨ての圧力を常にかけられ、人員と業務の縮減を強いられている。この圧力に抗して、引き続きこの職場と仕事の位置づけが行われ、働きがいのある職場として生き残ってほしいと切に願っている。
歩いて帰宅する途中、横浜駅の近くでこの区を所管とする私と同様の職場の現業職員が乗るトラックに追い抜かれた。もう深夜12時になろうかという時間帯であった。多くの人が行き交う中、私を見つけてトラックから私に声を掛けてくれた。
乗車していた仲間はいづれも私の組合の組合員で、くたびれていると思われるもののその明るい表情からその職場にけが人などはいないことを十分察することが出来た。そして「支部長の職場は解散が早いけど大丈夫なのかい」といってくれた。思わず「私などの年寄りは必要なかったようだよ」と返事をしたのだが、乗っているリーダーは私より一つ上で31日には定年となる仲間であった。私の返事が頓珍漢であったと反省をすると共に、現業の仲間がキチンと災害配備に位置づけられていることを実感し、とてもうれしかった。
現業職員というのは、自治体で働くいわゆる行政職の事務・技術職とは違い、「単純労務」と位置づけられた職員である。ゴミの収集や施設管理、道路・公園・下水道などの維持管理、学校用務・給食調理などに従事する。「単純労務」と規程されているが、各種施設の維持管理をはじめどの職場も行政の基本に精通していないとこなせない仕事であり、仕事は「単純」ではない。市民とも直接接する中で行政指導もこなさなくてはならない立場は、事務・技術となんら変わるところはない。
私共の組合は、この現業職員の業務が行政の一環としてキチンと位置づけられ、「単純労務」と落とし込められることなく、働きがいをもって業務に位置づけらるよう、組合再建以前も以降もひたすらそのことを具体的な要求提言を行い、人員体制の確保を使用者側に求めてきた。
災害時の現業職員の業務の位置づけは行政としてもっとも基本的な課題である。また、当該の組合員自信がそのことに自覚的になることがもっとも重要であると組合員にも訴えてきた。
この日、被害の大きかった横浜駅を所管とする職場の現業の仲間が、深夜でも走り回って業務をこなしていること、それも生き生きと携わっていることを目の当たりにして、私としては大変うれしかった。
降雪時や大雨、通常の小規模な事故などの日常の災害でも位置づけられていることは確認してきたが、この未曾有の災害時に存在感をしめした現業の仲間の存在は組合のこれまでの取り組みが無意味ではなかったとあらためて思われ、感慨深かった。ことに私に声を掛けてくれたトラックに乗っていたリーダーは昔私と同じ職場にいて、私にスポーツというか体を動かすことの楽しさを教えてくれた恩人でもある。
その時の状況から、あらためとこの震災の日と、それ以降の後処理で各職場の現業職員の位置づけについて後日組合として点検をしたが、どの職場も当然のように現業職員が第一線に位置づけられ、特に初期対応で大きな存在感を示していた。大変うれしかったことを今でも覚えている。
現業職員は議会やひどい政党などからいわれのない業務切捨ての圧力を常にかけられ、人員と業務の縮減を強いられている。この圧力に抗して、引き続きこの職場と仕事の位置づけが行われ、働きがいのある職場として生き残ってほしいと切に願っている。