Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

衆議院議員会館

2013年03月19日 22時25分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、退職者会からの要請で、退職者連合主催の「後期高齢者医療制度廃止・社会保障制度充実」を求める院内集会に参加するため、衆議院第2議員会館まで出向いた。
 暑いという言葉がぴったりとするくらいの陽気の中、久しぶりに議員会館に行った。しかしいつみてもあの人を威圧するような議員会館は好きになれない。警備も年々厳しくなるようで、今回も飛行場の荷物検査のようなエッックス線による透視検査が行われていた。



 さいわい、院内の大きな会議室で行われる集会の参加者にはそのような検査は行われなかったが、あのような検査が日常当然のように行われていることに、大きな違和感を感じた。
 丸の内線の国会議事堂前の駅から議員会館の地下まで駅構内を雨が降っても地下通路を歩いてたどり着けるのだが、こんなものもどうも私にはなかなかなじめるものではない。まぁ好き好んでいくところではないことをあらためて実感して帰ってきた。

 さて昨日の携帯電話の不具合のこと。夜中にシャットダウンをして寝た。朝おきてから、電源を入れてからドコモショップにおもむいて店員に昨日の症状を説明したがうまく伝わらない。そこで店員の前で、昨日はこうなったんだよと示そうと117に電話をかけてみたら、なんとつながる。店員曰く、「不具合の出たときシャットダウンしてみるのも手ですよ」。というわけで無事回復した。あわてた割にはまったくあっけない。拍子抜けした。心配してくれた皆さん、ご迷惑をおかけし、ゴメンナサイ。

お酒の話をもう一題-続きと取りあえずのまとめ-

2013年03月19日 21時33分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 3月18日にアップした私のブログ「お酒の話をもう一題」はノンアルコールビールの販売の感想と、子供に酒の席を同席させることに対する思いとが混同されていたようで、議論が止まってしまった。

 ノンアルコールビールの販売のあり方に対する感想としては、法的な規制でない今の段階では、製造者側と販売者側(コンビニ側)が、未成年に対しては販売しないという対応が行われていること自体に違和感はないようだ。自主規制の行方を見守ろうというところだ。
 私も家族にそのような未成年者がいなくて具体的な話でもないので、様子見というのが私の取りあえずの考えになった。あくまでも経験に即してものごとを考える立場からすれば、ということだ。

 未成年者に晩酌を付き合わせるということには、結構抵抗があるし、反対の意見である。私も同じだ。ただ私が家族の今が透けて見えるというようなことを記したら、通りがかり人様が「昔は会社や職場で、先輩たちが、いい飲み会を作ってくれた。しかし、私自身はあまり、後輩たちに、そういう席を作ってあげられませんでした。時代が変わっていっていたのです。楽しく飲める職場が、なくなっていき、若い人たちは、家族で固まっていくしかないと、思っているのだと思う」というコメントをしてくれた。
 私はこのコメントがとてもいいと思った。通りがかり人様もだいたい私と同世代として、通りがかり人様や私が就職した頃は、男社会の名残があり、労働時間も朝から夕方までという職場が圧倒的であった。
 今は、女性も社会で働き続けるようになり、またそうしないと家族の生計が成り立たなくなる社会となってきた。さらに交代勤務・労働時間の不定期化が当たり前の社会になってきた。そうなると職場での飲み会はいきおい成立が難しくなってきた。そんな時代の変わり目を通りがかり人様も私も経験してきたと思う。
 男も女も家族的責任を自覚的に果さなくてはならなくなり、職場秩序よりも家族の存続・維持のための活動に大きなエネルギーが費やされるようになってきている。核家族が当たり前の社会で、子供の面倒を相方の伴侶などに見てもらって、働いている夫や妻は職場での呑みニケーションに出席することが、労働時間の長期化や、相方の交代勤務が当たり前になって(特に女性)、ほぼ不可能になった。お酒を飲む機会や動機や、その場の作り方が私の頃とは大きく様変わりしているようだ。
 仕事でのストレスを抱えたまま「職場と家庭との行き来ばかりが日常」であるような、ほとんどの今の若い世代にとっては、お酒での憂さ晴らしは、子供を交えないと成り立たない状況なのかもしれないと思う。また母子家庭、父子家庭では外でも家でもお酒を飲む機会すらない状況になっているようだ。お酒を飲まないですむならそれでいいのだが、そんなことにはならない。

 夕食が済んで子供との会話も終了した後、ノンアルコールビールだろうがソフトドリンクだろうが、子供がそれらを手にしているのを前に、親はビールの一杯も飲みたくなることがあろうと思う。そのありようまで私は否定することが出来ない。飲んで子供にからんだりしない限り、それは逆にほほえましい一瞬なのかもしれないと思える。
 また両方の親がいる家庭でも、職場の飲み会よりも子供の学校を通した付き合いなどが強まれば、そちらの方のコミュニケーションはいきおい子供同伴の飲み会になってしまうことも多いような気がする。
 私が「居酒屋やファミレスの宴会で子供を同伴にして、しかも子供が放置されて騒いでいることに違和感を持つ」と以前に述べたら、その時の若い組合員から「Fsさんは恵まれていただけだ」といわれたことがある。そうではないと思ったし、居酒屋で夜10時過ぎに子供が走り回っていることには、今でも肯定など出来ない。でもそのような場を設けざるを得ないところに、家庭の実情・家族の現実が追い込まれているのかという視点は必要かと思う。

 そんな家族の今の状況を踏まえながら、いろいろな議論が出来ることがいいと思う。コメントをいただいた方以外からの意見も聞きながら記してみた。まとまらないが、とりあえずの到達点としたい。