Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横須賀の梅ワイン

2013年03月17日 20時41分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は温かいおだやかな一日となった。朝遅く起床してから、昨晩気になった江戸切子と薩摩切子のことをネットで調べて、江戸切子というグラスの写真を撮り、ブログにアップした。
 実は薩摩切子が我が家にあったとぱかり思っていたのだが、妻に聞いたら無いといわれた。青と緑のワイングラスがあり、切子様の模様だと思い込んでいたら違うとのこと。ではどこで手に入れたのかと聞いても判らないが、薩摩切子などという由緒正しいものではないという。それ以上私がこだわる自信もないし、意味もないので妻の言うとおりで決着した。
 その上で、退職者会の会報を印刷。無事問題なく印刷できた。両面印刷の場合、片面の印刷後しばらく置いて、十分に紙をしごいて紙の間に空気を送り込んでからでないと裏面の印刷がうまくいかない。紙送りで複数枚が紙送りされたり、斜めに紙送りされてしまう。静電気のためだ。だから最近の両面印刷機能が搭載された機械にしたいのだが、先立つものもない。さらに減価償却の時期はとっくに過ぎているとも思っているが、もっと使い込んでからというのも本音だ。

 印刷が終わったのは昼過ぎ、久しぶりに10キロ以上を走ってきた。自宅から2キロ余りの横浜の環状2号線三枚町の交差点まで出て、そこから2号線を新横浜駅の近く、横浜線とぶつかる地点まで行く。そして同じ道を自宅までもどってくる。陽射しがあり、温かい。ウィンドブレーカーが邪魔になるほど汗をかいた。とても気持ちのよい汗であった。

 日曜日なので夕食は母親も来て3人。妻と母は、私が横須賀の田浦の梅林を訪れたときに購入した「梅ワイン」を開けた。私もお猪口に2杯もらったが、私は甘すぎると感じた。二人は気に入ったようで、残りは二人に任せた。私は芋焼酎を水割りで心地よくなった。
 器は江戸切子の赤のお猪口にした。小さなお猪口に6割ほど焼酎を入れて、水を足して飲んだ。小さなお猪口なので5杯、同じことをした。面倒になったので次回からは琉球ガラスの器に戻すことにした。

 妻からは、「お酒になると面倒を厭わないんだね」といつもの調子で軽く一言。通りがかり人様と大納言様にコメントで何か言われそうだが、まぁ、覚悟しておこう。

江戸切子と薩摩切子

2013年03月17日 12時40分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ブログのコメントのやり取りの中で、江戸切子が出てきた。私も持っているのだが、「江戸切り子は赤と青のお猪口を1組ある。貰い物である。模様はブドウをあしらっていて良いのですが、色合いが少々きつい感じですね」と記載した。
 その後で食器棚をあさってみたら、お猪口1組のほかにビールグラス1組が出てきた。どれももらい物。そしてどちらも江戸切子である。お猪口は退職にあたり組合からもらったカタログショッピングで選択したもの。ビールグラスはやはり退職にあたり職場の親睦会から送られた。



 ビールを飲むのにはこの色は気にならないし、今年の夏場は使っていた。お猪口の方は削ってある模様部分が小さく、全体の色がきつく感じる。(写真写りがよくないのは腕が未熟なため)

 さて、江戸切子のこの色についてちょっと気になったのでネットで調べてみた。そうしたらこんな記事が出てきた。

 「江戸末期に生産された江戸切子は透明な鉛ガラス(透きガラス)に鑢や金棒と金剛砂によって切子細工をし、木の棒等を用いて磨き行った手作業による手摺り工程による細工によって制作されたものと考えられている。江戸切子の文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など着物にも見られる身近な和の文様を繊細に切子をしているのも特徴である」
 「同時期の江戸切子との違いは、江戸切子が透明・無色な硝子(透きガラス)に細工を施したものなのに対し、薩摩切子はより細かい細工(籠目紋内に魚子紋等)や色被せと呼ばれる表面に着色ガラス層をつけた生地を用いたものが多く、またホイールを用いた加工の有無が挙げられる。薩摩切子はヨーロッパのカットガラスに範を取り、色被せの技法はボヘミアガラスや乾隆ガラスから学んだもののようであるが、現在に伝わる当時の品には日本的な繊細さが見られる」

 この記述によると、江戸末期の江戸切子は無色透明。同じく江戸末期の薩摩切子が着色ガラスを用いていたということになる。
 ただし、明治期以後は「薩摩切子の消滅による職人と技法の移転や海外からの技術導入により、江戸においても色被せガラスの技法・素材も用いられるようになる。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴。加工方法も、文様を受け継ぎつつ手摺りからホイールを用いたものへ移行していく」という展開になったということらしい。

 さらに廃れた薩摩切子について「薩摩切子の特徴として特にその色の層の厚さがあり、これに大胆な切子を施す事によって切子面に色のグラデーションが生まれる。これが色被せ薩摩の特徴で「ぼかし」と呼ばれるものである」との記述もあった。

 同じ切子といってもこのように差があり、そして技術が変遷していたとは、驚きだ。江戸切子といって今売られているのはまず色着きのものだと思うが、昔ながらの透明なガラスを用いたものもあるのだろうか。そんなお猪口が欲しいが、これは贅沢ということで諦めよう。

 もとの私の記述では、江戸切子はそもそもこの色が売りだったような認識だったが違っているのだそうだ。ただし紋様は私の持っているもののような紋様が主だったようだ。深い彫りの幾何学模様は薩摩切子の特徴らしい。


 薩摩と江戸、切子という技術の確立と二つ相違、産業としての歴史、技術や職人の往来などを探ると幕末から明治にかけての動乱期の諸相が見えて来る。
 なかなかの研究課題のようだ。