夕べは久しぶりに夜の寝苦しさから解放されてぐっすり眠った。明け方にいつものようの時間に目が覚めたが、もう一度寝てしまって起こされたらあと5分で9時。実は団地の理事会の諮問機関の会議が9時からであった。あわてて顔を洗って、家を飛び出したのが1分前。会場に1分遅刻。私は一応「委員長」の役割なのだが、それが遅刻してしまって情け無いものである。
午後からは雨が降りそうな空模様だったが、久しぶりに長い時間歩こうと決意して出かけた。途中の公園で10分の休憩を取ったので実質2時間30分、22800歩だから大体15.3キロ位。時速6キロ以上だからなかなかの速度だったと思う。雨はほんのちょっと降った程度でなので助かった。走らなければ左脹脛の筋肉は痛んだり強張ったりはしなかった。しかし体重が5キロほど戻っているので、再度落とさないとまずいのかもしれない。せめてあと3キロは減量したい。
今夜から「72年春・川内を語る東北大45Sの会」の報告づくりの作業を始めようかと考えている。A4の大きさで4頁位、新聞形式にするつもりだ。縦書きがいいか、横書きがいいか、外枠をつけるか否か、どのようなレイアウトがいいか。これを考えるのは楽しい。
組合役員の現役の頃はA4で2頁ないし4頁の支部ニュースをひたすら作った。最初はB4で2頁で手作りで版下を作った。そのうちA4にして、ワープロの地の文を張り合わせ、見出しを手書きにした。そのうち私の単独編集にしてから、一太郎で見出しから地の文、そして写真も貼り付けて版下を打ち出すようにした。広告もスキャナーを活用したものを作った。400号分ほどの版下が今も私のUSBメモリーに保存されている。
新聞作りはだから、ものすごく懐かしいし楽しい。むかし組合の反主流だったので、主流派に対抗するためひたすらビラを作った。それだけが私(たち)の思いを職場に、組合員に伝える唯一の手段だったから、真剣にそして大量に作り、職場で配布してくれる方を求めていろいろな人に会いに出向いていった。この努力で作った人脈が私(たち)の財産であった。
ビラひとつを作ること、そして1枚でも余分にまいて読んでもらうこと。この大切さを37年痛感し続け、そしてそれを実行してきた。1枚でもおろそかにすることはしたくなかった。それが、「党派」なる集団を組み、そこに属する集団以外人や言い寄ってくる人以外を異質な人間としてひたすら排除しようとする集団に対する、私の意地であった。その思いは今でも持続して持っている。
今は、組合の退職者会の会報を2ヵ月に一度、A4で裏表1枚を作るだけだ。それも当局との緊張関係は意識しないですむ。親組合の足を引っ張らないことは常に心がけなければならない。もう一方の組合との緊張関係は別の意味で存在する。しかし基本は取り組んだ行動やイベントの結果だけを記載している。
これと違った意味で、今回の同窓会の報告文はやはり緊張する。仙台を離れて、あるいは学校を離れて40年たっている。それぞれ社会でさまざまな経験を積み、社会や時代や人生や生き方に対する判断・選択には当然にも違いがあり、それをお互いに尊重しながらの集まりである。一方的な宣伝に堕すること、一人だけの判断に偏るということは避けなければいけない。共通項は1972年4月とそこに至る時間の共有と、それ以降の苦しい数年の在仙時代の助け合った友情である。
たとえば、自分にとっては自明のことをお互いの共通認識だ、とひとり合点していると齟齬をきたしてしまう。折角の友情を壊すきっかけを作るわけにはいかない。これは緊張する。間違えればすぐに謝るならそれは許しあえるかもしれないが、そういつも間違えるわけには行かない。
レイアウトとは、読みやすさだけではない。親しみやすさと懐かしさも大切だ。です・ます調にするか、である調にするか。学生時代のビラの形式はアジびらで、ほとんどは縦書き・外枠なしであった。表題は横書き、小見出しは縦書きで地の文の中に入れる形式だった。しかしそのようなアジびらの様式は、報告文にはそぐわない。そして学部にあがったときのビラはB4裏表で横書き二段、外枠なしが主であった。結果としてそうであっただけで、縦書き・横書きを意識したことはなかった。
いつもほとんどの方が会社の文章をいつも見ているのであろうから、また理系であるので昔からの教科書のスタイルがいいとは思う。そうすると横書きが読みやすいと思われる。しかし一方で、日本語は縦書きのほうが本当は読みやすいし、レイアウトもしやすい。縦書きにこだわりたい理由がある。そして横書きの場合、縦割り2段組は編集しにくい。縦書きの新聞形式の方が慣れてもいるので作りやすいのだ。
あれやこれや悩んでいても埒はあかない。とりあえず横書きで作ってみることにした。その上で相談会に来てもらったメンバーに送信して記事の内容の点検とレイアウト全般の感想を聞くことにしようと思う。
午後からは雨が降りそうな空模様だったが、久しぶりに長い時間歩こうと決意して出かけた。途中の公園で10分の休憩を取ったので実質2時間30分、22800歩だから大体15.3キロ位。時速6キロ以上だからなかなかの速度だったと思う。雨はほんのちょっと降った程度でなので助かった。走らなければ左脹脛の筋肉は痛んだり強張ったりはしなかった。しかし体重が5キロほど戻っているので、再度落とさないとまずいのかもしれない。せめてあと3キロは減量したい。
今夜から「72年春・川内を語る東北大45Sの会」の報告づくりの作業を始めようかと考えている。A4の大きさで4頁位、新聞形式にするつもりだ。縦書きがいいか、横書きがいいか、外枠をつけるか否か、どのようなレイアウトがいいか。これを考えるのは楽しい。
組合役員の現役の頃はA4で2頁ないし4頁の支部ニュースをひたすら作った。最初はB4で2頁で手作りで版下を作った。そのうちA4にして、ワープロの地の文を張り合わせ、見出しを手書きにした。そのうち私の単独編集にしてから、一太郎で見出しから地の文、そして写真も貼り付けて版下を打ち出すようにした。広告もスキャナーを活用したものを作った。400号分ほどの版下が今も私のUSBメモリーに保存されている。
新聞作りはだから、ものすごく懐かしいし楽しい。むかし組合の反主流だったので、主流派に対抗するためひたすらビラを作った。それだけが私(たち)の思いを職場に、組合員に伝える唯一の手段だったから、真剣にそして大量に作り、職場で配布してくれる方を求めていろいろな人に会いに出向いていった。この努力で作った人脈が私(たち)の財産であった。
ビラひとつを作ること、そして1枚でも余分にまいて読んでもらうこと。この大切さを37年痛感し続け、そしてそれを実行してきた。1枚でもおろそかにすることはしたくなかった。それが、「党派」なる集団を組み、そこに属する集団以外人や言い寄ってくる人以外を異質な人間としてひたすら排除しようとする集団に対する、私の意地であった。その思いは今でも持続して持っている。
今は、組合の退職者会の会報を2ヵ月に一度、A4で裏表1枚を作るだけだ。それも当局との緊張関係は意識しないですむ。親組合の足を引っ張らないことは常に心がけなければならない。もう一方の組合との緊張関係は別の意味で存在する。しかし基本は取り組んだ行動やイベントの結果だけを記載している。
これと違った意味で、今回の同窓会の報告文はやはり緊張する。仙台を離れて、あるいは学校を離れて40年たっている。それぞれ社会でさまざまな経験を積み、社会や時代や人生や生き方に対する判断・選択には当然にも違いがあり、それをお互いに尊重しながらの集まりである。一方的な宣伝に堕すること、一人だけの判断に偏るということは避けなければいけない。共通項は1972年4月とそこに至る時間の共有と、それ以降の苦しい数年の在仙時代の助け合った友情である。
たとえば、自分にとっては自明のことをお互いの共通認識だ、とひとり合点していると齟齬をきたしてしまう。折角の友情を壊すきっかけを作るわけにはいかない。これは緊張する。間違えればすぐに謝るならそれは許しあえるかもしれないが、そういつも間違えるわけには行かない。
レイアウトとは、読みやすさだけではない。親しみやすさと懐かしさも大切だ。です・ます調にするか、である調にするか。学生時代のビラの形式はアジびらで、ほとんどは縦書き・外枠なしであった。表題は横書き、小見出しは縦書きで地の文の中に入れる形式だった。しかしそのようなアジびらの様式は、報告文にはそぐわない。そして学部にあがったときのビラはB4裏表で横書き二段、外枠なしが主であった。結果としてそうであっただけで、縦書き・横書きを意識したことはなかった。
いつもほとんどの方が会社の文章をいつも見ているのであろうから、また理系であるので昔からの教科書のスタイルがいいとは思う。そうすると横書きが読みやすいと思われる。しかし一方で、日本語は縦書きのほうが本当は読みやすいし、レイアウトもしやすい。縦書きにこだわりたい理由がある。そして横書きの場合、縦割り2段組は編集しにくい。縦書きの新聞形式の方が慣れてもいるので作りやすいのだ。
あれやこれや悩んでいても埒はあかない。とりあえず横書きで作ってみることにした。その上で相談会に来てもらったメンバーに送信して記事の内容の点検とレイアウト全般の感想を聞くことにしようと思う。