Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

無精ひげと鏡と自分の顔

2013年09月11日 23時49分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日で一週間、髭を剃るのをさぼってみた。

 髭を伸ばすのは、大学生の二年目の後半から半年ほど以来のことである。最初は顔全体の髭を伸ばしていたが、口の周りの髭が食事のとき邪魔になり、少し剃ったら左右のバランスがうまく取れなくなり、次第に剃る面積が増えてしまった。最終的にアゴの周りだけ伸ばすことになった。
 4~5センチほど伸びたとき、黒いはずの髭がいつの間にか茶色になって、さらにチリヂリになって来た。何となくみっともなくて結局剃ってしまった。今思うととても似合わないものだったと思う。それでなくとも実際の歳より上に見られる風貌なのに、余計歳上に見られていたと思う。
 それ以来髭はいつも丁寧に剃ってきた。
 しかし昨年の4月に定年になってから、つい2~3日髭を剃らないことが度々あった。髭も頭と同様、ほとんど白くなり多少伸びても見た目には目立たなくなっている。それにワイシャツ・ネクタイという格好もすることはなくなった。仕事で人に接することはまったくない。そんなことで一ヶ月のうち2回くらいはそんな無精ひげを見せることがある。これで横浜駅まで歩いて地下街を歩くことにもなれた。それでも一週間も髭を剃らなかったことはない。
 山に行って5日間剃らなかったことはあるが、下山してすぐに温泉に浸かって髭を剃るのが、下界に復帰する通過儀礼のようなものである。

 そして髭を伸ばして一週間、今朝一週間ぶりに鏡をのぞいて自分の髭とそして見たくもない顔全体を観察してみた。この伸び放題の髭、真っ白といってもところどころ黒い髭が混じっている。それも偏っている。黒い髭は固まって生えている。全体に平均して混じっているのではない。じっくり見ているとその偏り具合が何となくしまりがない。
 さらに不思議なことに顔の左右で髭そのものの密度、伸び方に差がある。右の方が髭が密生している。面積も広い。伸び方も早い。しかも黒い髭は少ない。
 昔から左右でもみ上げのところの伸び方とその濃さに差があることはうすうすわかっていたが、伸ばしてみるまでこんなに差があるとはわからなかった。
 この歳になってつくづくと自分の顔を鏡で眺めてみたようなものだ。中学生の頃から同級生は皆盛んに鏡を見て髪の手入れなどに余念がなかったが、私はまず鏡を見ることはなかった。朝、学校の出掛けにちょっと水を手に掬い、それで濡らしてハリネズミのような髪を撫で付ける程度だった。
 大学生の時は肩まで髪を伸ばしていたが、それでも朝に、申し訳程度にブラシをするだけだった。髭も一日おきに入る夜の風呂の時だけであった。だから大学生の頃も鏡を見ることはまずなかった。髭を伸ばしていた時期はとりあえず夜風呂場で鏡を見ながら髭を剃ったが、その時期を除いて鏡など見ないで剃っていた。
 勤めてから毎日朝に髭を剃るようになり、そのとき以来髭を剃るときだけ5分ほど鏡を見るようになった。だが、顔を見るといっても髭の剃り残しを確認する程度でしかなかった。
 今朝、一週間ぶりに鏡を見て、この無精ひげが自分の醜い顔をより醜くしていることを再確認した。美しいなどと天地がひっくり返っても言えない。

 つくづくと自分の顔を見ると、鏡の中に、すぐ目の前に、醜い無精ひげと醜い顔が映っている。皮膚は弛んでシミが点在している。若さなどどこにあるのだというほど情けない顔である。左右のバランスもとれていない。よくこんな顔を人前にさらして生きてきたな、と自己嫌悪に陥る。自分の全生涯を否定したくなる。この顔が酒で赤らんでいたらとても嫌だ。人前で、居酒屋でお酒を飲むのも嫌になってくる。妻にも見せたくないと思う。
 それでいて、鏡を離れると途端にそんな自己嫌悪は忘れてしまう。夕方になるとお酒が無性に恋しくなって、歩きながら居酒屋を物色している自分を発見する。自己嫌悪などといっても所詮この程度のものである。むろんそうでもしないと生きていけないのだ。自己嫌悪が激しければ、そしてそれをすぐに忘れることがなければ、人はみんな洞窟の中にかくれたままか、夜でなければ活動できないことになる。自己嫌悪ばかりしていては男といえ、人を恋することなどできなくなる。自己を肯定しない限り人に恋することなどはありえないのだと思う。
 若い女性が、最近は若くない女性もだが、電車の中で一心不乱に自分の顔を鏡で見ながら化粧をしている。何かに没頭しているあられもない姿を無防備に人前に晒している。女性は鏡を見て、自己嫌悪に陥らないものなのかと、とても不思議になる。たとえ美しい顔立ちで皮膚に若さが宿っていても、私には自分の顔はとても納得がいかないものである。もっともそれを隠すために化粧をするのだということなのだろうが、それでも変身前の、あるいは変身中の顔をさらすのは私はとてもできない。変身した化粧後の顔も決して私は満足はしないであろう。満足は永遠の更にその先にあると思う。

 だから朝、鏡を一瞬だけ見て、もう自分の顔のことは忘れてしまいたい。日中に自分の顔のことなど思い出したくもない。思い出さないことが幸せであり、活力の源泉でもある。そしてさらに醜さに輪をかけて醜いこの左右アンバランスで、少しだけ黒いものが混じる醜い斑の無精ひげ、これはやはりさっさと剃ってしまわなければならないと痛感した。
 これだけ伸びた髭を剃るのはまた面倒でも売る。剃刀で大まかに剃ってから電気剃刀を当てないとダメだ。最初から電気剃刀だけでは歯に髭が食い込んでくれない。かといって剃刀だけでは剃刀負けして後から痛くなる。電気剃刀を常用していると剃刀では皮膚が負けてしまう。山から下りてきたときも皮膚が痛くなるのを我慢して剃っている。
 我慢して剃っても、納得のいく顔が出てくるわけではない。いつものように自分でも好きになれない顔が再び何の防御もなく、ぬっと現れてくるのだ。気分が悪くなる。しかし致し方ない。
 これが自分の顔であり、どんなに嫌いでも死ぬまで付き合うしかないのだ。死んでも、いや、死んだらなお一層、この顔でしか私は私とならないのだ。顔とは不思議なものである。
 古い古墳には鏡が大量に埋納されている。古人も好きか嫌いかは別にして顔こそが自分のアイデンティティであることを痛いほどわかっていた。多分自分の顔が嫌いだったのだろうと推察している。墓という暗い場所に隠れて鏡を見ながら、自分ではない自分に変身してみたかったのかもしれない。
 すべての身分の人が変身しないで、周囲の社会に自分をさらすことが一般化したのは、近代になってからかもしれない。支配層、上流階層の人ほど時代が下るまで顔を隠そうとしていた。時々現代でも近世以前の風潮が時々顔を出して、変身願望が際立つときがある。顔を隠す流行が時々ある。祭りの時がある。芸能の時がある。
 私は変身すらもしたくない。なぜなら鏡をみることが嫌いだからだ。自己嫌悪が強くなるから、それが昂じて鏡から目を背け、鏡の前を離れても自己嫌悪が続いてしまっては、もう生きていくのが嫌になるほど自分の顔を見たくないから。

「プーシキン美術館」展(その3)

2013年09月11日 13時51分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 私が取り上げた、フロマンタンの「ナイルの渡し船を待ちながら」の絵。私はこの絵のポストカードも売られていないし、プーシキン美術館の所蔵だし今回展示されているから名画の部類に入るとはいえマイナー感想だったのかな、チョッとさびしかった。
 しかし、「プーシキン美術館」展の感想をいろいろなブログで掲載されていて少しばかり目を通させてもらったところ、かなりの方が取り上げて好印象を持たれたようだ。内心ホッとすると同時に、企画者が「売れる」「人気が出る」と言う判断と、実際はなかなか一致しないものだというのがわかる。
 この絵について、あるブログでは「朝日か夕陽か」という指摘があった。私は夕陽以外には感じられなかったが、そういえば夕陽とは誰もいっていない。ただし、渡し舟を待っている、あるいは見送っているという情景と考えれば、一日の終わりに近い夕方というのが無理のない理解と思っている。
 そしてラクダと人物に動きが無い。これはやはり一日の終わりを暗示していないだろうか。その根拠として私は、ラクダの後ろで地面に直接座っている女性と思われる像に注目してみた。朝日なら、これから一日の始まる情景ならばこの人は立っているほうが自然に思えた。
 また、向こう岸に急いで行こうとしている情景ととらえた人もいるようだが果たしてどうだろう。そんなにあわただしい情景ではないのではないか。この遠くを見つめる視線は呆然としているのでも、焦っているのでもないと思う。ようやく着いた、という安堵とも緊張ともいえる感情を内に秘めて、彼岸と時間を望見しているのではないか。そしてまた、ラクダの後ろの女性の登場だ。急いでいるならやはり彼女は立っているほうが自然だ。
 ここまで書いてきて、ふと感じたのは、夕方だったとしてあの夕陽の位置まで沈んでいるとしたら、空の色が青すぎないだろうか。もう少し太陽の周りが赤みがかった夕焼けになるのではないだろうか。と感じた。太陽を下にずらした無理が空の色合いに出てしまっているのかと感じた。
 そうであってもこの視線の叙情性は失われないと思うが‥。



 次にこのピカソの「マジョルカ島の女」の絵。ある人のブログで、菩薩像を思い出したとあった。私は「そのとおり」と思った。私はき気付かなかったが、表情があるようで無い視線は、弥勒菩薩・観音菩薩に似ていなくもない。細く長い指もそんな感想を持つのに相応しい。
 ピカソと菩薩との関係、ピカソの女性観と合わせて考察するといろいろな視点が出てくるのかもしれない。
 こんな感想が出てるのもピカソならではのことなのかもしれない。



 この絵は取り上げなかったが、図録をめくっていて、気になった作品である。ルイジ・ロワール「夜明けのパリ」(1880-90)。ロワールという名は私ははじめて聞く。解説では「枯れの関心はは、さまざまな時間帯、天候によって変化する年の表情に向けられ‥、印象派、とりわけモネとの接点を見て取れる」と記載されている。
 湿潤な雨の後の空気が想像される。手前の屋台の明かり、遠くのビルの1階の店の明かりと都市生活の温みを暗示している。イラストレーター、装飾画家といわれる分類の画家が陥りがちな風俗画とは一線を画して、パリという都会の様相を象徴する画面では無いだろうか。
 人々の表情までは細かく描いていないが、暗い色調の中に、これから始動する都市生活の一瞬を、店の明かりと人々の立ち姿勢で暗示している。何故か懐かしい気分も湧いてくる。現代の都市とも、日本の現代の都市とも共通する普遍性が感じられないだろうか。
 ロワールという画家の名前、覚えておこうと思った。他にどんな絵があるのだろう。興味が湧いてきた。



 この絵も取り上げなかった。ジャン・バティスト・サンテールの「蝋燭の前の少女」(1700年)。
 最初何の変哲もない肖像画に見えた。しかし落ち着いた表情がなんともいえず美しい。表情が生きている。蝋燭の明かりの柔らかさが、顔の落ち着いた表情ととてもよくマッチしている。
 この頃の肖像画というと、私はキリスト教的な寓意や、いかめしい登場人物のいかめしい表情、物語の中の劇的な表情や作った表情が中心であるので、このような自然な表情を見ることは少ないと感じている。
 実際のモデル抜きにはこの頃の肖像画は語ることができないのだそうだが、このような女性の表情がこの画家の理想の女性像だったのであろう。「光と影のあつかいには、オランダ絵画の影響」と図録に記載がある。
 先ほどのピカソの「マジョルカ島の女」と較べるといろいろなことが思いつく。まだまだ私の中では整理されていないが、そんなことをまとめて書いてみたいと思った。