本日は、組合の退職者組織の全国集会が東京で行われ、私も参加した。明日の連合の退職者組織が毎年行う恒例の「全国高齢者集会」の事前の集会。
記念講演で沖縄国際大学教授の前泊博盛氏の「安倍政権と憲法・安保・地位協定-沖縄からみた日本の民主主義-」という題の講演が行われた。
ここでは内容には触れないが、久しぶりに刺激のあるいい集会であった。
明日は台風が接近するが、9月16日の「敬老の日」を前に日比谷公会堂で行われる「全国高齢者集会」にも参加する予定。私も昨年から「高齢者集会」の参加対象者となっている。昨年は始めて参加した。その時、妻からは「高齢者集会だって、ヒヒヒッ」とからかわれたが、自分でも不思議な気持ちであった。二回目の今年になると気持ちは慣れてくる。
さて、オリンピックの東京開催でのお祭り騒ぎ。私などのようにオリンピック自体がしっくりこない者は、まさに非国民扱いのように肩身がせまい。かといってこの浮かれた状況をおとなしく見過ごすのも癪である。
そのうち、私見も記さないといけないと思えるようになって来た。世の中、どう考えてもおかしい。私の論点は、以下のような論点ではない。しかしとりあえず以下の点は覚書風に指摘しておいてもいいのではないか。
一国の首相が嘘をつく。招致委員会なる組織の責任者が不適切な発言を平然とする。首相は、「私が安全を保証します。状況はコントロールされています。汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。」と発言。
そして招致委員会の竹田恒和理事長がIOC総会の開かれるブエノスアイレスで会見した際、「東京は福島から250キロも離れているから安全」と発言。
オリンピック招致ではこどもに夢をとばかりに宣伝された。しかし嘘もいいます、福島の人を足蹴にするようなことも平然と言いますと、子供に示すのはいかがなものか。
百歩譲ってオリンピック出場が夢の子供に、「オリンピックに出場したい」と「東京でオリンピック」とをくっつけて話をさせるのはどうかと思う。この二つはどうつながるのか。東京でなくともオリンピックは今のところ世界中のどこかで開催する。非開催国の子供は「オリンピックの出場したい」が夢である。場所がどこであるかは問題ではない。これはどこかで議論がすりかえられている。東京でなければならない、ということにはつながらない。
記念講演で沖縄国際大学教授の前泊博盛氏の「安倍政権と憲法・安保・地位協定-沖縄からみた日本の民主主義-」という題の講演が行われた。
ここでは内容には触れないが、久しぶりに刺激のあるいい集会であった。
明日は台風が接近するが、9月16日の「敬老の日」を前に日比谷公会堂で行われる「全国高齢者集会」にも参加する予定。私も昨年から「高齢者集会」の参加対象者となっている。昨年は始めて参加した。その時、妻からは「高齢者集会だって、ヒヒヒッ」とからかわれたが、自分でも不思議な気持ちであった。二回目の今年になると気持ちは慣れてくる。
さて、オリンピックの東京開催でのお祭り騒ぎ。私などのようにオリンピック自体がしっくりこない者は、まさに非国民扱いのように肩身がせまい。かといってこの浮かれた状況をおとなしく見過ごすのも癪である。
そのうち、私見も記さないといけないと思えるようになって来た。世の中、どう考えてもおかしい。私の論点は、以下のような論点ではない。しかしとりあえず以下の点は覚書風に指摘しておいてもいいのではないか。
一国の首相が嘘をつく。招致委員会なる組織の責任者が不適切な発言を平然とする。首相は、「私が安全を保証します。状況はコントロールされています。汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。」と発言。
そして招致委員会の竹田恒和理事長がIOC総会の開かれるブエノスアイレスで会見した際、「東京は福島から250キロも離れているから安全」と発言。
オリンピック招致ではこどもに夢をとばかりに宣伝された。しかし嘘もいいます、福島の人を足蹴にするようなことも平然と言いますと、子供に示すのはいかがなものか。
百歩譲ってオリンピック出場が夢の子供に、「オリンピックに出場したい」と「東京でオリンピック」とをくっつけて話をさせるのはどうかと思う。この二つはどうつながるのか。東京でなくともオリンピックは今のところ世界中のどこかで開催する。非開催国の子供は「オリンピックの出場したい」が夢である。場所がどこであるかは問題ではない。これはどこかで議論がすりかえられている。東京でなければならない、ということにはつながらない。