同窓会は登録された方全員が参加して楽しく有意義に盛大に実施できた。
遠くは浜松、柏崎、神奈川、東京、埼玉、古川、山形から仙台に集合した。
仙台からは3名。1970年の出会いから43年目。
みんな当時の人柄そのまま引きずっているような印象。会った瞬間に一気に時間が43年近く逆戻りしたような錯覚に・・。
そして文書などの資料も4人から提出された。
一人一人の発言は短い、長いはそれぞれだけど、言葉の一つ一つに、40年の人生に対する判断、社会に対する姿勢が充分に理解できるような思いがした。「変わってないなぁ」、「よくわかる」「あいつらしいな」・・そんな感慨がたくさんわいてきた。
やはり震災・原発は重要なキーワード。
1978年の仙台の震災を経験した者も、今回経験した者も、中越地震を経験した者も、そしていずれもたまたま経験しなかった者も、3・11をいつも反芻しているようだ。
参加の皆さん、感謝いたします。
心ならずも生涯を絶った仲間のS君の思い出も共有できたと思う。福島第一原発のすぐそばで育った彼のお墓は今は立ち入りも遠望もできない。ひょっとしたら流失してしまっているかもしれない。私達の心の中に生き続けて行くよすがのひとつとしたい。そんなことも40年のうちにあった。
しかし本当に楽しかったぁー(^_^)/
そして本日は東松島市を中心に津波被害地を訪問させてもらった。
野蒜の海水浴場では参加者の多くが訪れたこともあり、石巻も遠望できて感慨ひとしお。ちょっと呆然とした瞬間でもあった。
仙石線の線路や駅のあったところから線路が撤去され無人のプラットフォーム跡などさびしい限りだ。鉄道の跡というのを見ると、鉄道施設というものが単なる施設ではなく、人々の息遣いが張り付いた、血の通っているものにも見えてくる。人々の生活と切っても切り離せないものが息づいているようだと感じる。
東名(とうな)漁港の再生工事も、がれき処理の現場も地質・土木・行政に関わった身には大変気になる現場であった。
東名にある、年齢が4歳・5歳と若い子供の名が幾つもあり、93歳を一番の高齢とする名も見受けられた慰霊碑前では自ずと頭も下がった。
案内を買って出てくれた方、企画・案内をしてくれた仙台の仲間に心から感謝したいと思う。本当にありがとうm(_ _)m