Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

十五夜

2016年09月15日 23時21分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 心配したほど雲は厚くなく、雲の向こうにあるいは雲の切れ目に十五夜の月が見えている。虫の音も静かにしかししっかりと聞こえてくる。スズムシが多いようだ。私の家のベランダからは残念ながら芒は見えない。しかし高い欅の先端に見える月には、欅の枝の先の細かな葉が影のように張り付いている。月の周囲の雲が大きく割れて、南西の方向は空がみえている。雲が切れていく、というのはなかなかいい風情の十五夜である。
 当初はベランダに100円ショップで購入した小さな椅子を出してお酒を飲もうとしたが、妻から蚊にくわれるだけのこと、やめなさいと強くお叱りを受けて断念。時々ベランダに出て、月を見上げることをしている。もう10回ほど戸を開け締めしたであろうか。蚊が部屋の中に入ってきたかもしれない。

★名月や門の欅も武蔵ぶり   石田波郷



 しかし武蔵の国らしい欅の姿というのはどのような欅なのだろうか。たぶん無骨な形という意味なのだろうが、それが具体的な形としては想像できない。丸くて、悟りの境地にたとえられる満月に「無骨」な形の欅を対比させる。その欅の向こうに名月がある。無風流な人までもが名月を見る、という舞台設定なのか?
 そうはいっても忘れられない句である。私は高島野十郎の描いた満月を思い出している。

 明日は昼から退職者会のカラオケクラブの交流会に顔を出して取材。私はカラオケはどうしても馴染めない。何しろ歌を歌うのがどうしても嫌である。聞いている分にはいいのだが、カラオケの場面に放り込まれるとひたすらお酒を飲んで寝てしまうことにしている。今回は取材なのでお酒をときどき飲みながらカメラを構えるだけ。出来れば参加したくはないが、仕事だと割り切るしかない。
 世にカラオケというものが無ければ、世の中はもう少し明るくなるのだが‥。カラオケなどというものを発明した人を心から憎んでいる。昔はどこの世界でもカラオケや宴会芸の強要がひどかった。私の勤めた公務職場でもひどかったが、勤めてから5年もしないうちに強要は無くなってきた。宴会芸もどんどんなくなっていった。勤めて10年もしないうちに強要は皆無となり、あくまでも歌いたい人だけが歌うようになった。宴会芸などもまったく廃れた。昔は歓送迎会などで、送られる人、迎えられる人かならず歌うか、芸を求められたものである。私は一貫して拒否をしてきた。逃げ回ってきた。
 しかし今でも多くの職場ではまだそのような強要が残っているらしい。私にはどうしても理解できない習慣である。
 退職者会では、宴会の席でも、このようなクラブの催しでも、強要はない。それぞれに楽しみたい人間が楽しんでいる。人をはやし立てて楽しむということはまったく考えていない。とても嬉しい組織である。

「エッシャー展」感想

2016年09月15日 21時22分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 版画家マウリッツ・コルネリウス・エッシャー(1898-1972)については、私はチラシに掲載されている「上昇と下降」(1960)や「ベルベデーレ(物見の塔)」(1958)などで知っている程度であった。
 オランダ出身ということもなくなったのが1972年とわたしが学生時代の時だったということも知らなかった。まして初期の作品がどのようなものであったかもまったく知識はなかった。
 本人も最後まで「デザイナー」として振る舞おうとしていたらしい。平面の中にジグソーパズルのような反復と連続、立体の視覚のトリックに基づく平面化等々には私は昔も今もあまり惹かれることはない。今回の展示でも1930年代後半以降の後期から晩年にいたるまでの一連の作品にはあまり惹かれることはなかった。細部への精緻なこだわりには惹かれることはあっても、作品そのものから「感動」はなかった。



 ただし、これらの一連の作品では初期にあたる「昼と夜」(1938)は昔から印象に残っている。ここには言い知れぬ抒情性のようなものを感じている。人間の営みに裏打ちされた畑や町並や道路といった景観からどこか疎外されて、着地点を喪失している人間の寂漠を感じる。社会との接点がうまく構成できない「不器用」と烙印を押されてしまう人間の飛翔しようにもあまり高くには飛翔できない人間のもどかしさのようなものを感じ取っている。
 今回の展示を見て、初期作品に私はおおいに惹かれた。



 始めから精緻な描写にこだわりを示し、遠近法と明確な明暗にこだわっていたと思われる。それは1930年代半ば以前の作品に見出すことが出来る。私が今回の展示で一番惹かれた「カルヴィの松林(コルシカ)」(1933)はその典型のような気がする。
 このように強調された明暗と極端な遠近感の作品は、広重の風景画を思わせるものがある。そして枝の先の葉の描写の細かさにたじろぐように驚いた。伝統的な職人技に基づく風景画にも思える。しかしながら、精緻な描写の向こうには人の姿、人の要素というものがまったく欠けている。エッシャーという画家にとって風景というのはこのように精緻で、そして人を寄せ付けない何かを持っているのではないか、と感じた。風景が画家の中に取り込まれていく回路をもともと喪失していて、どこまで行っても画家の外部に画家とは対立するように立ちはだかっているのではないかとすら感じた。人がかかわって有機的な関係を取り結んでいる自然ではなく、自然が人間と初めから終わりまで交じり合えことなく、いつまでも併行関係にあるようだ。
 明確な明暗と遠近法を組み合わせて幾何学的な構成を突き詰めていると、錯覚によってどこかで遠近が逆転したり、奥行き感が逆転したりすることがある。このような体験は私も幾何学的な模様で体験することがある。



 遠景の火山と近景の岩の大地を描いた「ブロンテ付近のエトナ山(シシリー)」(1933)はさらに景観の方から人を拒絶しているような作品である。



 一方で人工物などには強い親和性を示していたようで、「サン・ピエトロ寺院の内部(ローマ)」(1935)などでは強い明暗と強い光による反射面と影に、そして極端に幾何学的な遠近法表現こだわりを示している。



 これをさらに一歩歩を進めると、「静物と街路」(1937)のように近景と遠景の浸潤、混合、相互滲出へと進展するのではないか。視覚の錯覚への強い関心に行きつくように思える。私はこの一歩踏み越える手前と踏み越える瞬間の時期の作品群が、このエッシャーという版画家のもっともすぐれた地平のように思える。

   

 一連の平面の正則分割、あるいは形而上絵画のようでもある視覚のトリックに純化した作品を作っていた時代にも、「水たまり」(1952)や「三つの世界」(1955)のような作品を生み出している。
 極端に遠近法を排して、日本画を彷彿とさせる画面構成である。そして画面いっぱいに紋様のように素材を執拗に描写するところは紋様の執拗な繰り返しと反復によるデザイン性を前面に出している。とはいえ、どこかで画家が自然との関係の修復を求めているような助けを、あるいは叫びを感じ取れないだろうか。人間は自然との関係をあらかじめ対立概念だけではとらえきれないものがあるはずだと思う。どこかで交感しないと、そして互いに浸潤しあわないと、相互に関係は構築できないし、持続できない。むろんその度合いや関係の結び方は地域や文明により種々の変容があるが、基本は変わらないはずだ。それが人類のつくる文明の共通事項だと私は解釈している。



 そして一連の後半生の無機質ともいえる作品群の中に「婚姻の絆」(1956)が存在する。人間の関係を象徴するような作品だと感じた。それがどのような水準の関係なのかはこの際は問わないでおこう。少なくとも作者であるエッシャーが社会を律する人間関係に着目しているということが現われている。






中秋の名月だが‥

2016年09月15日 13時10分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は退職者会のホームページを一カ月半ぶりに更新をした。8月は夏休みということで更新をしていなかった。会議も行動もとりあえずなかったのを理由にして。
 9月は行動と会議が目白押し。更新も忙しくなる。さらに本日は15時から会議に代理で出席となった。

 会議が終了後は何をするかまだ決めていない。雨が降るかもしれないとの予想なので、中区から歩いて帰宅するのは今から決断できない。喫茶店で読書でもするのが一番いいかもしれない。
 本日は十五夜だが、満月ではない。18時の段階では月齢14。中秋の名月も雨および雲で見ることは出来ないようだ。無月ということで、それを理由にベランダに出てお酒でも飲みながら寝てしまうのもいいかもしれない。ただし蚊が酔ってこないような工夫が必要。