Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ようやく帰宅

2016年09月28日 23時50分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく帰宅。13時からの集会とデモ、18時からの集会とデモ、終了したのが21時ちかく。解散地点の東京駅の地下街に降りて居酒屋に入ったのが21時を少し回っていた。生ビール1杯と日本酒1合とモズク酢とお通しでひとり1900円。もっと安い店を探すことは出来たが、疲れて目についた店に入ったので止むえない。20時過ぎにラストオーダーと云われて会計を済ませた。
 9月は立て続けに東京での行動が入り、さすがに疲れた。本日の報告をホームページ上にアップをまず明日にはしないといけない。10月もいろいろ取組みはあるが、とりあえずは勘弁してもらって、9月初めの熊野古道のバス旅行の報告集の作成に専念したい。来週中にはこれを完成する必要がありそうだ。
 明日は午前中は本日の報告をホームページにアップしたのちは休養日も兼ねて、午後はのんびりと過ごしたいものである。

 最近は退職者会の取組みに追い回されてこのブログの主たる記事が書けていない。来週あたりから少しずつ以前の無いように戻していきたいものである。

「月―夜を彩る清けき光」展を紹介してもらった

2016年09月28日 13時39分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 こんな企画展の情報を教えてもらった。チケットを譲ってくれるらしい。

「月―夜を彩る清けき光」(松涛美術館、10月8日~)
→【http://www.shoto-museum.jp/exhibitions/170tsuki/

 次のような紹介がある。
「日々満ち欠けを繰り返し、時を刻む「月」は、1年間の人々の生活に12か月の節目を与えます。また四季のうつろいに従い景物としてその姿が長らく鑑賞の対象にされてきました。日本の美術において、月は鑑賞や信仰の対象として造形化され、その姿は、やまと絵や水墨画、浮世絵版画などに描かれるとともに、工芸の意匠としても採用されています。
本展では、絵画をはじめ、蒔絵調度、陶磁器、刀装具や甲冑などを「月」をテーマに多面的に展示し、日本人に脈々と流れる「月」への嗜好をあらためて見つめていきます。」

 そういえば松涛美術館、ずいぶん昔に行った記憶がある。いつだったか、何を見に行ったか、まったく覚えていない。場所も地図を見ないと思い出さないと思う。





地下と地上の景観

2016年09月28日 09時04分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は東京の集会の後、打ち上げもせずに帰宅した。さすがに19、22、24、26日と飛び石での打ち上げは体にも財布にもきびしい。いくら控え目な呑み方と安い店を探す老練な会員が多いとはいえ、限界がある。
 そして夕食後風呂にも入らず、寝てしまった。妻には呑み過ぎと怒られたが、さすがに疲れが溜まっていたと思われる。

 退職者会であるから、さまざまな行動参加はどちらかというと引きこもり対策でもある。家を出て往復することが健康対策でもある。またあいさつや講師の話を理解する努力、会話や資料読み込みといった刺激を継続する場を提供することも退職者会の役割でもある。参加者同士の会話、主催者の挨拶や講師の話への賛同・批判・意見の表明など刺激は豊富である。しかし機会が多すぎればそれは不健康のもとである。
 集まれば、年金や保険や税金相談や、健康自慢・病気自慢を楽しみにしている会員もいる。仕事で得た知識を披露してくれる。地元での老人会の集まりを、横浜市内や都内に広げたようなものかもしれない。同じ職場を体験した仲間だから、しゃべりやすいことが多い。
 手軽なウォーキングや散歩、街歩き、ビル巡り、橋巡りなどの趣味はかなり多い。その人たちにとっては、目新しい集会場の往復やデモの沿道の風景は新しい刺激になるようだ。次は一人で見に行きたいという話もよく耳にする。
 たいがいの方は地下通路や地下鉄の連絡・乗り換えが苦手である。地上を歩かないと自分がどこにいるかわからなくなる、という。私などは逆に地下鉄や地下通路の方が案内標識が過剰ともいえるほど多いので、迷うことはない。しかし私の場合、地下の標識・掲示の記憶はあっても、地上の景色の記憶があまりないというのも問題ではある。
 都内では、旧東海道や上野界隈、新宿・渋谷のごく狭い範囲を除いて景観に詳しくない私は、これら以外の場所の景観の話を聞くことはとても楽しい。
 本日もこれから都内へ出かける。