チラシの解説では、
「鈴木其一」(1796-1858)は江戸時代後期に、江戸琳派の優美な画風を基盤にしながら、斬新で独創的な作品を描いた画家として近年大きな注目を集めています。その其一の画業の全容を捉え、豊穣な魅力を伝える初の大回顧展を開催します。
江戸時代初期の京都で俵屋宗達(17世紀前期に活躍)が創始した琳派は、尾形光琳(1658-1716)により、さまざまな流派が活躍した江戸時代絵画の中で最も華麗な装飾様式として確立されました。光琳が活躍した時期の約100年後に、江戸の地で琳派の再興を図ったのが酒井抱一(1761-1828)です。抱一は京都の琳派様式からさらに写実的で洗練された画風を描くようになり、その新様式はのちに、京都に対して「江戸琳派」と呼ばれています。
そのような江戸琳派の祖・抱一の一番弟子が其一です。其一は寛政8年(1796)、江戸中橋に誕生しました。文化10年(1813)、数え年18歳で抱一に入門。4年後に兄弟子で姫路藩酒井家家臣の鈴木蠣潭(1792-1817)の急死を受け、養子に入り鈴木家の家督を継ぎました。
文政11年(1828)、其一33歳の時に抱一が没して以降は、一門の中でも圧倒的な存在感を示し、その作風は次第に師風を超え、幕末期にかけて大きく変容を遂げます。とくに30代半ばから40代半ばにかけてはダイナミックな構成や明快な色彩を多用し、新たな其一様式が築かれました。さらに晩年にはより挑戦的で自由な作風を開き、近代を予告するような清新な作品も少なくありません。
このように、抱一の実質的な後継者としての自負、光琳に連なる琳派画家としての誇り、さらに酒井家家臣という立場が上質で機智に富む画風を育み、多くの其一画が大名家や豪商の厚い支持を得ました。
本展では抱一画風を習得する門弟時代、躍動感溢れる作風を次々と手掛けた壮年期、息子・守一に家督を譲った晩年と、其一の生涯と画風の変遷を丁寧に追います。また其一は多くの弟子を育成して江戸琳派の存続に大きく貢献しており、近代まで続くその系譜も辿ります。まさに「江戸琳派の旗手」として目覚ましい活躍をみせた其一。広く知られた其一の名品や新出作品など、国内外からかつてない規模で作品が一堂に揃うこの展覧会は、江戸の画壇を豊かに彩った其一画の魅力とその展開を、存分に堪能していただける貴重な機会となります。」
と記している。
鈴木其一の作品をはじめて見たのは2010年5月、根津美術館で「夏秋渓流図屏風」を見た時である。この時の驚きは今でも覚えている。琳派というものはすごいものだな、という感想をその時以来持った。むろん宗達や光琳や抱一の名も作品も以前から知っていたが、彼らの作品を見た時の驚きよりも大きかったと思う。
何よりもその緑と青の深い色合いに特徴があるとすぐに感じた。また色彩の面が鮮やかで明確である。滲みやボケ味などという言葉をこの画家は知らないのではないかとすら思うこともある。この明瞭な印象が私にはとても好感が持てた。
この「朝顔図屏風」はメトロポリタン美術館所蔵ということで、目にする機会をうかがっていて、ようやく実現した。
今回の展示では「朝顔図屏風」だけがメインではなく、多くの惹かれる作品に接することが出来た。しかしやはりこの作品の前でいちばん時間をかけた。
まずこの朝顔は根が無い。葉と鶴と花の部分だけを取り出して空中に放り投げて虚空に張り付かせたように浮遊している。左右のバランスがとてもいい。あえて言えば左の方がまとまりがいい。まとまりのいいおさまり方である。左上から右下に向かう流れが目につく。そして右双は左よりも均等に朝顔が散らばっている。とくに大きな流れはない。どちらかというと右から左に向かう流れがあるが、明確な主張を持ってはいない。この左右のわずかな違いが見ていて「飽き」ない理由だと思う。
左右いづれも結果としては過不足なく、偏らずに平面を埋めている。この安定感がこの作品の大きな魅力だと思う。また背景の金色があまりしつこいとは感じない。これ見よがしの金箔は鼻に着くがこの作品ではそのように感じたことはない。たぶん緑が金色の暴走をとどめていると思う。
実に丹念に計算されつくした色の配置と緑・紺色の配置だと思う。これは鈴木其一という人物のかなり律儀でキチンとした性格に裏打ちされたもののように思える。
例えば「向日葵図」の真っ直ぐに伸びたような茎を見た時に、ここまでこの垂直の線にこだわって描いたことに驚いた。完成度の高い優れた作品だと思っている。花の黄色の輝き、葉のたらし込み技法を多用した葉と茎の現実感、特に葉の緑色が黄色と呼応しているのは、かなり意識した対比だと感じている。この天辺の黄色の花は、見る人の心を見通してしまう強さがある。当時はやりの観音像の視線のような感じも受ける。ひょっとしたら仏像なのかもしれないと感じた。
この直線のような真っ直ぐな線というのは、絵画の中に取り入れるというのは思い切った手法だと思う。なかなか成功はしないのではないだろうか。
完成度はこの向日葵図ほどではないが、水墨画のような「繭玉図」も同様に、向日葵図よりも垂直で直線にこだわった作品である。まるで電信柱を写生したような作品で、思わず明治維新後に他の画家が描いたのかと作者名を再確認した。一部だけを切り取るという構図も斬新だと思う。
いづれも垂直の直線一本だけを中心に据え、他に主要な要素がない大胆な作品であると同時に、そこにこだわる性格というものを考えさせられた。かなり理詰めに物事を考え、対象をそのように観察し、そのように画面を構成した画家と私は想像している。そこがまた魅力だと感じる。
後期展示も行ってみたい気がする。チケットショップで格安に手に入ると可能性が出てくる。だが人気が出ると団体割引の価格で販売されるので、あまり美味しくはない。