昨日はヒガンバナ、彼岸花と記載し、引用した俳句は曼珠沙華であった。私は昔から曼珠沙華と彼岸花が同居している。どちらに思い入れがあるわけでもなく、等価に同居している。初めに知った言葉はどちらであったろうか。父親は彼岸花と呼んでいたように思う。しかし小学生の頃にはどちらも意識の中に納まっていた。
当時住んでいた地域の畑の縁、農家の敷地を囲む築地の切れ目、放置された造成地等々にさく赤い花を見て不思議な花だと感じた。普通の花とどこが違うのかなどということは特に考えたことはないが、何となく変わった花だと感じていた。父親が彼岸花と呼んでいたとすると、多分当時住んでいた横浜の西部の地域では曼珠沙華と地の人が言っていたのかもしれない。
中学1年生の時に国語の時間に
★つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
を知った。紺と曼珠沙華の赤が補色関係にあることを教わった。しかしすぐには紺色の秋の空がどうしても想像できなかった。秋の空の色はもっと明るくなくてはいけないと思っていた。紺という言葉が明るい青に近い色から濃い紫色までにまたがるということを理解したのは、もう少し時間がかかった。
物事を知るということと、理解することと、頭の中で合点がいくということとはなかなか同時にはあり得ないということを知ったのはこの頃ではないだろうか。
俳句に興味を持ってから、昨日掲載した
★転移てふかなしき語あり曼珠沙華 石田波郷
という句を偶然知った。わたしの好きな句の一つである。
そして同じく昨日記載した
★曼珠沙華落暉を兵のよぎりつつ 加藤楸邨
は昨日初めて知った。
★曼朱沙華落暉も蘂をひろげけり 中村草田男
という有名な句を知ったのはつい最近。
★人来ればこの世の色に曼珠沙華 小杉優子
の句は先ほど知った。確かに曼珠沙華は一人でじっと見る花である。