昨日国立西洋美術館の常設展をまわった時に、ミュージアムショップのポストカードを物色した。1枚90円という安い値段で嬉しかった。しかしキリスト教絵画も近代絵画もあまり欲しいものが目につかず迷っていた。
同行の会員に「どのような絵を見て、絵画を好きになったのか」と不意に後ろから訪ねられて驚いた。
実は私が最初に見て感動したのは、高校3年のときに見た坂本繁二郎であるし、大学に入ってすぐに知った香月泰男や佐藤哲三などであるが、この美術館にはない。
美術館は初めての方にここにはない作品を熱く語ったも空回りするだけなので、どうしようか、一瞬悩んだ。しかしカードを並べた片隅に、ジョアン・ミロとジョルジュ・ルオーが目についた。気に入った最初の作品ではないが、ミロはかなり早い段階から好きであった。子どもがまだ幼稚園に通い始めるよりも前に、子どもと一緒にミロを見ながら楽しんだ。ルオーの不思議な色彩感覚に気が付いたのもその頃だったように思う。
あまり時間をかけて返事をしても会話にならないので、展示室の最後に遭ったミロの「絵画(1953)と、ルオーの「リュリュ(道化の顔)」(1952)を引き抜いて、赤の色から受ける印象を少しばかり話してみた。
ミロの作品を見て、娘は直前の旅行で見たガラス工場の熔けたガラスを思い出したらしい、そこから「ガラスを取り出すところ。暑くて人の汗が空に飛んでいる」と語ってくれたエピソードを放した。多くの人が夕陽を前にした寛ぐ人のイメージを持つらしいが、いづれにしろ膨張色の赤がこの作品のポイントではないか、などと講釈を垂れてみた。
反対にルオーの赤というのは、他の画家や一般的な色彩の持つイメージとは逆に、赤に悲しみや沈潜的な気分をもたらす退行色のような扱いをしているらしい、緑や深い青色がかえって道化を見ている観客の熱気を彷彿とさせる場合が多いという私なりの考えを伝えてみた。
伝わったかどうかはわからないが、私の説明をちゃんと最後まで聴いてくれた。そして話の行きがかり上この2枚のポストカードを購入した。
実は2枚とも私の画像データには取り込んでいないもので、私のコレクションに入れさせてもらった。
スキャナーで取り組んでいるうちに気が付いた。ミロの作品は1953年、ルオーの作品が1952年、戦後のほぼ同じ時期の作品である。私が生まれた間もない頃に発表されたものである。たまたま偶然ではあるが、どこか感慨深いものがある。