本日は損保ジャパン日本興亜美術館に「生誕140年 吉田博展」を急きょ見に行くことになった。妻と二人分の無料招待券があると朝にいわれ、昼前に慌てて出かけた。「ベルギー奇想の系譜」の感想の方が本当は先に仕上げなくてはいけないが、今回は先にこの吉田博展を取りあげる。
吉田博という画家、那覇聞いたことがあるが、作品を直に見るのは初めて。黒田清輝の「白馬会」に対抗した「太平洋画会」の設立者であることをはじめて認識した。太平洋画会(現太平洋美術会の前身)は「白馬会」解散後、現在まで存続している。日本においてよりもヨーロッパ・アメリカで人気があった画家であると聞いていた。
本日まとまった展示をはじめて見たのだが、今のところ私にはまだピンとこない画風である。特に気に入った、感銘を受けたという作品はなかった。ホイッスラーの影響など、確かに確認することは出来た。夏目漱石が「三四郎」で取り上げた「ヴェニスの運河」(1906(M39)年)は奥行き感もあり、色彩の対比も好ましいとは思った。
その他薔薇の花を描いたシリーズ「バラ(1)~(7)」なども印象には残った。山岳を描いた作品でいくつか印象に残ったものはある。「雲海に入る日」(1922(T11)年)、「穂高山」(1910~20(大正期)年代)などは陰影が強調され、山岳絵画としての視点は斬新に思えた。
版画作品も多くが展示されていた。広重や川瀬芭水などを思い浮かべるような情感ある作品には惹かれるものもあった。大きな作品や同じ版木で色彩を変えて、時間の推移を表現する試みなどもある。
しかし私の目には新しい表現、新しい色彩感覚、造形感覚という点で、私の頭にはインパクトがなかった。私にはまだまだ理解できるだけの経験はないのかもしれないと、感じた。
印象として縦長の画面の油彩画などがあった。たぶん水墨画や日本画の素養に基づくものであったと思われる。しかしあの縦長の画面の特徴ないし遠近法などの技法が油彩画に生かされていたとは私には思われなかった。
もうひとつの印象として、日本と西洋という関係での葛藤が画家の中でどのように処理をされたのか、手がかりが感じられなかった。