Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

カミーユ・ピサロの風景画

2020年11月17日 23時10分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 頭が疲れているとき、体力も消耗しているとき、人物が登場する絵画は苦手である。静物画もあまり緻密に描かれていると頭の中で作品が回転して、疲れてしまう。そういう時は明るい風景画を見るとホッとする。
 私が最初に風景画がいいな、と思ったのは印象派のまとめ役というか、年長者として若い印象派の画家たちに影響を与えたカミーユ・ピサロの作品を見たときである。
 この作品は初期の作品である。明るい空と雲、長いがくっきりとした温かみのある人物の影、人物も風景の中の点景として描かれている。何かのドラマを演じていない。日常の中で、特に何事もないように通り過ぎていく。風景の中に人が溶け込んでいる。わずかな風も感じる。
 色合いはセザンヌの色調にも似ている。いくつかのピサロの作品を見て、すっかりファンになってしまった。
 この作品の構図も気に入っている。右側の三分の一くらいは木々の陰で少し暗く、左側の三分の二の明るさと均衡を保っている。道で画面が横一直線に区切られてしまうのを避けるように林を配置している。それでも右側に重みが残るのを左の人物を馬に乗せることで、さらに左右のバランスがとれるように私には感じられる。
 この作品は、わ2017年に東京都美術館で開催された「ボストン美術館の至宝展」で見た。ピサロの作品はそれなりに見たことがあるが、この作品も初めて目にして気に入った。
 ピサロを知ってから、のちになってロイスダールなどのオランダ風景画というものを知って、やはりとてもひかれた。特にオランダの風景画は空が全体の7割も占めるものなどもあり、驚いたことを思い出す。空も雲も、とても好ましく描かれている。
 友人に「雲がちゃんと書けている絵はいい絵だ」などといわれてそうなのか、と思ったこともある。
 バルビゾン派、ミレーやコローの作品もいいが、あまりに木々を濃密に描きすぎていると思う。あくまでも私の好みの問題であるけれども。

 本日はこの絵を見たことで、いい睡眠になるとうれしい。


ワクチンの「有効性」とは?

2020年11月17日 21時16分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 デスクトップのパソコンは快適に動く。気分をよくして、友人数人にながながとメールを送ってみた。

 退職者会の作業上の連絡の道具として使うメールではなく、私信として使うのは久しぶりである。友人にメールを送るのは、一か月以上立ってしまったかもしれない。
 この間の発熱のことやら、パソコンの壊れたこと、退職者会の仕事のこと、最近の世の中の動きのこと‥。

 さて、本日ニュースを聞いていて不思議な言葉を聞いた。「ワクチンの有効性が93.5%云々」とアナウンサーが言っていた。
 ワクチンを接種した3万人のうち、発症した人が5人云々で、有効性が93.5%というのだが、統計学上・疫学上「有効性」という言葉の定義は何なのだろう、と思った。NHKのアナウンサーは特に注釈なしで使っていた。
 しかし5人と3万人では、0.017%である。発症しなくても副作用などが現れた人が6.5%なのだろうか。すると2000人近くが何らかの影響が出たということになるのか。それはあまりに大きな数である。副作用の頻度が大きすぎないか。
 ネットで調べたがよくわからない。

 人間、90%を超えているとなると、とても有効なものに思えてしまう。しかし、疫学上これは果たしてどういう評価を下したらいいのだろうか。また有効性という数字はどのようにして算出されたものなのだろうか。
 政治的な願望で医学上、統計学上、疫学上の数値を作り出してしまっていないか、それに踊らされていないか。マスコミはそのお先棒を担がされていないか。心配になった。
 何事もいったんは疑ってから数値を評価したいものである。特にそれを広報する立場の者は慎重になりたいものである。


とりあえず終了

2020年11月17日 14時20分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 デスクトップパソコンのカスタマイズはとりあえず終了。あとはその都度やりやすい設定にしていく他はなさそう。思ったよりも多くのソフトでいろいろな設定を施していた。
 昨日に続いて肩凝りと目の疲労。これ以上パソコンの前で作業すると体がおかしくなりそうなので、作業はおしまい。

 これより、退職者会のイベントで使用する写真の現像をするために家電量販店へ。本日は少々贅沢なコーヒーを飲みたいと思っていたが、妻が先に出かけしまい、小遣いをもらい損ねた。いつものとおり、電子マネーで支払いのできる安い喫茶店で我慢せざるを得なくなった。気が付くのが遅れてしまった。