横浜美術館の「トライアローグ展」の図録を読み進めている。第2章まで読み終わった。だいたい1950年代までを扱っている。私の生まれたのが1951年。第二次世界大戦が終わったものの、再び冷戦構造へ緊張が高まり、東西対立の時代と、合わせて世界の南北問題も絡んで、緊張感が高まった時代である。
いくつもの見慣れた作品がある。大半は横浜美術館のコレクション展で見ているものであるが、その他にも有名で各種の美術所や図録に掲載されているものもある。
ジュアン・ミロ、ダリ、マグリット、ポール・デルヴォー、バルテュス、ヴィフレド・ラム、ルーチョ・フォンタナ、ジャン・デュビュッフェなどの作品である。
今回初めて目にした作品では、ジョージア・オキーフの「抽象№6」(1928、愛知県美術館)、ジャクソン・ポロックの「無題」(1946、富山県立美術館)、ロベルト・マッタ(1957-59、横浜美術館)に惹かれた。いづれも作者の名は聞いたことはあるが、作品は初めて目にした。マッタの作品は横浜美術館なので見たことはあると思うのだが記憶にない。
オキーフの作品はこの1点のみ。私の知っている他の作品も艶めかしい性的な印象を与えるが解説によると作者自身はその解釈については強く嫌っていた、とのことが書かれている。それを踏まえて他の作品も再度見直してみたいと感じた。
ポロックの作品もこの1点。解説では「一見、無秩序のように見えるが、クレーや茶色の絵具は画面の枠に沿うように、また黒いエナメル塗料も画面から大きくはみ出さないように慎重にコントロールして描かれており、作者の画面構成に対する意識が感じられる」とあった。
ポロックの作品は枠をはみ出し、中心を拒否し無限に平面を広げて、秩序を否定しているような作品の印象がある。解説では「1947年頃から‥無限に広がるような抽象絵画に到達する。本作は‥過渡的な作品」とある。私は色彩のバランス、「」の形の枠の設定などが気に入った。ということは、「枠」やバランスの解体に突き進んでしまった作品のあり方が理解できていない、ということの裏返しになる。
マッタの作品も1点、解説では「グレーの絵具をぼかした背景は宇宙を連想させ、三原色の塊がすられた痕とともに、この錯綜した空間の流動性を高めている」と記してあった。
実は私は黄色に上塗りされた部分の形象から、周囲は都市空間、中心部の白っぽい空間は歳の中の人間の複雑で多様な存在様式の象徴のような形体が浮かんでいるのかと思っていた。
ポロックもマッタの作品も、ともにこの黄色に惹かれた。私の好みの問題なのだろうか。いづれにしても、この3人の作品にはこれから意識して接してみたいと感じた。
さて、残念ながら、私が惹かれる作品の多くは、この時代までが主である。この壁をいつも乗り越えたいと思いつつ、それがなかなか果たせないもどかしさをいつも抱いている。