Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

リフォーム工事ほぼ完了

2023年06月23日 21時34分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日、ようやく便所と洗面所が使えるようになった。機器の納品が遅れ、1週間工期が遅れた。新しい便器の使い方の説明も受けた。
 リフォーム工事としては99%完了といったところであろうか。残る工事は洗面所のLED証明の取り付けと、洗面所のタオル掛けの取付。照明器具の取り付けは今週半ばに急遽依頼したもの、タオル掛けは本日依頼したものなので、時間がかかってしまうのはこちらの責任である。タオル掛けは私が取り付けようと思い、工事の人にとりあえず聞いてみたら、石膏ボードの向こう側の板までビスが届くようにしないといけないということで、急遽依頼した。

 新たな便器は操作パネルは電池式だが、便器の洗浄機能等は電動なので、停電時は手動になる。現代の危惧はなかなか便利なようで、わかっていることとはいえ不便というか、融通が効かない。それでも便利さに惹かれてしまう。水流はこれまでよりも節水機能があるものの、渦巻式で、汚物がこびりつきにくいのは有難い。もっとも今までの便器はもう30年近く前の製品なので、現在の製品と比べると格段に進歩している。比較自体が無意味かもしれない。

 洗面所というのはないととても不便であることがあらためてわかった。特に私は膝が痛いので、靴下を脱いで風呂場に足を入れるのがしんどい。朝の洗顔、3回の食後の歯磨き、食膳の手洗い、便所を利用後の手洗いにこれを繰り返すのは面倒であった。

 今晩からはほぼ日常生活が戻る。ただし、書斎(兼パソコンルーム)の本棚の整理はまだまだ時間がかかる。


平和の詩全文 沖縄慰霊の日

2023年06月23日 20時15分28秒 | 読書

 沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で、私立つくば開成国際高校3年の平安名秋さん(17)が朗読した詩「今、平和は問いかける」の全文は次の通り。

夏六月
溶けかけたアイスを手に走り出す
緑萌ゆるこの島の昼下がり

礎に刻まれた「兄」に
まるであの日のように
そっと触れるおばぁの涙は
陽炎が登る摩文仁の丘に
ただ果てしなく広がっていく

その涙は体を包み込み
私を「あの日」へといざなう

限りないこの空は
何を覚えているのだろう
涙に満ちたおばぁの瞳は
何を語りかけているのだろう

七十八年前の
あの日
あの時
かけがえのない
たったひとつの命が
憎しみと悲しみの中で
散っていった

名も無き赤子の
微かな
微かな泣き声は
震える母の手によって
冷たく光の無いガマの中で
儚く消えていった

幾多もの砲弾が
紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって
この島に降り注いだ

戦争が起きる前
そこには日常があった

私達と同じように
原っぱを駆け回り
友達とおしゃべりをする
みんなで暖かいご飯を食べ

時には泣き
時には笑い
時には「ありがとう」を伝える

そんな今と変わらない日常が
平和が
そこにはあった

平和は不確かで
脆く崩れやすい
いつもすぐそばにあるのに
いつのまにか消えていく

おばぁの涙は
摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は
今、私達に問いかける

平和とは何かを
私達に出来ることは何かを

私は過去から学び
そして未来へと語り継いでいきたい
おばぁの涙を
沖縄の想いを

かけがえのない人達を
決して失いたくはないから

今日も時は過ぎていく
いつもと変わらずに

先人達が紡いできた平和を
次は私達が紡いでいこう

そして世界に届けていきたい
平和を創り
守っていく
この沖縄の「チムグクル」を
※チムグクルは「真心」の意味。 

 


玉城デニー知事の平和宣言(2023年度沖縄全戦没者追悼式)

2023年06月23日 18時53分52秒 | 読書

例年のとおり、沖縄慰霊の日の玉城デニー知事の平和宣言を掲載することにした。私はこの宣言の内容を広めたいと思っている。

 1945年、今から78年前、ここ沖縄で一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。
 90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、豊かな自然と文化遺産のほとんどを破壊し、20万人余りの尊い命を奪い去りました。
 沖縄県民は、地上戦だけではなく、南洋諸島からの引き揚げ船の撃沈や、学童疎開船の犠牲、10.10空襲、学徒の動員、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けました。
 毎年、6月23日を迎えるたびに、戦争体験者が戦争の不条理と残酷さを、後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと、決意を新たにするのです。 戦後27年に及ぶ米国統治を経て、1972年に本土に復帰してから51年となりました。
 しかしながら、現在もなお、在日米軍専用施設面積の約70.3パーセントが本県に集中し続け、航空機騒音をはじめ、水質や土壌等の環境汚染、航空機事故、米軍人・軍属等による事件・事故など、県民生活に様々な影響を生じさせています。
 このため沖縄県は、在沖米軍基地の更なる整理・縮小、日米地位協定の抜本的な見直し、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と早期閉鎖・返還、辺野古新基地建設の断念等、基地問題の解決を強く求め続けてまいります。
 昨年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」及び「防衛力整備計画」においては、沖縄における防衛力強化に関連する記述が多数見られることなど、苛烈か/れつな地上戦の記憶と相まって、県民の間に大きな不安を生じさせており、対話による平和外交が求められています。
 ロシアによるウクライナ侵攻から1年4カ月が経過しようとしており、現在も憂慮ゆう/りょすべき事態が続いております。沖縄県民は、国際社会の連帯と協力による一日も早い停戦が実現し、平穏な生活を取り戻せることを切に願っております。
 今ある命、今に残る文化、自然環境、これらを未来を担う子や孫達に受け継いでいくことが、人々が共有する願いであるということを確かめ合ってまいりましょう。
 アジア太平洋地域における関係国等による平和的な外交と対話による緊張緩和と信頼醸成、そしてそれを支える県民・国民の理解と行動が、これまで以上に必要になってきています。
 私たちは、アジア太平洋地域における観光、経済、環境、保健・医療、教育、文化、平和など多分野にわたる国際交流を通じて、沖縄県が築いてきたネットワークを最大限に活用した独自の地域外交を展開し、同地域における平和構築に貢献できるよう努めてまいります。
 沖縄県では、ここ平和祈念公園に、「沖縄県平和祈念資料館」と「平和の礎(いしじ)」を建設し、戦争の犠牲になった多くのみ霊たまを弔とむらい、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界の恒久平和を願い続けております。
 民間においても、幅広い世代による平和への行動が様々な場面で行われており、平和を願う輪が広がっています。
また、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てた「ちゅらうちなー草の根平和貢献賞」や「沖縄平和賞」を通して、平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に発信するとともに、沖縄がアジア太平洋地域の国々との架け橋「万国の津梁(しんりょう)」となることを目指しております。
 非暴力の信念を貫いたガンジーは「平和への道はない、平和こそが道なのだ」という言葉を残しています。
 「平和」とは、戦争や紛争のない状態にとどまらず、貧困、暴力、人権の抑圧、差別、環境破壊等がない、安らかで豊かな状態であり、本県が発信する「沖縄のこころ・チムグクル」には、人間の尊厳を何よりも重く見る「人間の安全保障」も含まれます。
沖縄県は、全ての人への不当な差別は許されないことを宣言するとともに、人々が互いに人格と個性を尊重し合いながら共生する誰一人取り残すことのない優しい社会の実現に全力で取り組んでまいります。
 私たち一人一人が平和について考え、沖縄から世界へ平和のバトンをつなげ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続けてまいります。

 沖縄(うちなー)ぬ人々(ちゅぬちゃー)が幾世代(いくゆー)かきてぃ生活(くらし)ぬ指針(みやてぃ)にっし育(すだ)てぃてぃちゃる
相互(たげー)ぬ相違(ちげーみ)ぬ在(あ)し尊重(うむん)じ合(あ-)いる肝心(ちむぐくる)生命(ぬちだから)大切(て-しち)にする心(くくる)持(む)ち(命ぬちどぅ宝たから)、平和時代(てーふぃーゆー)求(とぅ)めいる人々同士(ぇーじゅーどぅーさー)ぬ連結心(ちなじぐくる)。
戦争(いくさ)ぬ悲惨(あわり)んかい体験(あた)てぃちゃる被災者(ちゅぬちゃー)からぬ未来(さちじゃち)んかい向(ん)かてぃぬ教訓(ゆしぐとぅ)、次世代(あとぅぬゆー)んかい伝承(ちて-)てぃいちゅしが私達(わった-)ぬ使命(すくぶん)やいびーん。
万人(うまんちゅ)が今(なま)、あんし未来(さちじゃち)んかいぬ幸福(しやわし)とぅ安息(ゆーゆー)とぅそーてぃ希望(ぬじゅみ)ぬ持参(むたりーる)時代(ゆー)共(ちむてぃーち)なてぃ築上(しーな)ちいちゃびらな。

 We,the people of Okinawa, have long cherished the spirit that appreciates the diversity in each and every one of us.
 We have always known in our souls that it is life,itself,that is more important than any treasure.
 We are united,as a people,by the longing for peace.
 We sincerely believe that it is our noble mission to bear witness to the painful lessons from the countless war experiences and to pass on these messages to future generations.
 Let us endeavor to build a society where all people are able to imagine happiness and eternal peace for everone,for now and forever.

 本日、慰霊の日に当たり、国籍の区別なく犠牲になられた全てのみ霊たまに心から哀悼(あいとう)の誠まことを捧げるとともに、先人達から語り継がれてきた平和の尊さを伝え続け、未来を生きる子や孫達のために、よりよい沖縄の未来の創造を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

                    2023年6月23日            沖縄県知事 玉城デニー

※しまくとぅば及び英語の訳・・・沖縄の人々が培ってきた お互いの違いを認め合う心、命を大切にする心(命どぅ宝)、平和を求める人々とつながる心。戦争体験者からの未来への教訓を次の世代へ伝えていくことは私たちの使命です。全ての人々が今、そして未来に幸せと安息を夢描くことができる世の中を共に築いていきましょう。 


打ち身

2023年06月23日 15時05分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中に整形外科に行ってきた。これまでかかった整形外科医の中では丁寧な対応と治療をしてくれていた。地下鉄で3つめの駅にあり、駅の階段の昇り降りも含めて少々歩きづらかったのが難点で、通うのをやめてしまった。やめてしばらくして歩けなくなり、けいゆう病院での治療に変えていた。けいゆう病院では当初は担当の医師がちゃんと治療をしてくれていたものの、途中から若い医師に変わり、何の治療もしなくなった。レントゲン技師へのX線を撮影する部位の指示が違っていたり、ヒアルロン酸注射もしなくなり、91日分として273錠の痛み止めを処方され呆れてしまい、通院をやめてしまった。院外の薬局からも病院へ問合せしてもらったが、処方箋通りという回答であったらしい。
 先週の土曜日に階段を踏み外して転倒、痛い方の右膝などを痛めた。本日になっても痛みが引かないので心配になり、ここの病院を再度訪れた。
 さいわいX線検査の結果、骨折はしていなかった。強い打ち身で済んだということである。痛み止めの注射をしてくれた。右膝は骨折はしていないものの、炎症があるうちはヒアルロン酸の注射は避けようということで、左膝のヒアルロン酸注射を始めてくれた。
 治療のおかげというのであろうか、両方の膝の具合は本日は良好である。

 実は一番驚いたのは、ぶつけていないはずの右の土踏まずが内出血で赤黒く変色したこと。これについては、右膝部分をぶつけて内出血したものが、土踏まずまで下降して変色したもの、と指摘された。とりあえずは一安心である。しかしあの赤黒い色は見た目にも良くない。