本日喫茶店に入る前に横浜駅の有隣堂で文庫本のコーナーを一周。岩波文庫の「雨月物語」(上田秋成)を衝動買い。
喫茶店で「全国水害地名をゆく」(谷川彰英)とともに、西行と崇徳院の怨霊との鬼気迫る問答を描いた「白峰」(しらみね)を少々目を通した。以前にもこの「雨月物語」の岩波文庫版持っていたが、すでに古書店に処分をしてもらっていた。
急に読みたくなった。
特に「白峰」は能にでもありそうな展開であるが、謡曲にはこのような話は無かったと記憶している。
高校時代に古文の先生の紹介で「白峰」と「菊花の約」(きっかのちぎり)を読んだ。しかしそれ以降すっかりご無沙汰。久しぶりに目を通して懐かしかった。
読書の合間を縫って、再読してみたい。
朝は肌寒く家の中でこの秋始めて長袖を着てみた。そのまま昼過ぎに家を出たら暑くて参った。家に戻って半袖に着替えるのも面倒なのでそのまま横浜駅の喫茶店で読書タイム。
帰りのバス停も夕陽が当たり暑かったものの、降車した場所は陽が当たらず、風も強く、長袖でちょうどよかった。
喫茶店では「全国水害地名をゆく」(谷川彰英)の第3章「大阪・関西地方を襲った水害と地名」の後半、ならびに第4章「北日本を襲った水害と地名」、第5章「信越地方を襲った水害と地名」の1/3を読み終わった。
恥ずかしながら「大阪」が「小坂」に由来し、「小」を「大」に変え、「坂」が「土に返る」=「死」をイメージされるのを嫌って「大阪」に落ち着いたというのははじめて知った。特に坂=土に返る、には驚いた。
「一口(いもあらい)」の語源を「いも」=疱瘡(天然痘)、「あらい」=祓い、とし集落への入り口・境界に位置する坂道という切になっている。祓いが集落の入り口・境界に位置し、払う儀礼に由来するということと、疫病退散の祈りに繋がるというのは頷けるか、「いも」=疱瘡・天然痘というところの説明が欲しかった。まだ議論の余地がありそうな記述に思えた。
「アイヌの人々が残してくれたアイヌ語地名は立派な文化遺産である。それを紐解くことによって、いかにアイヌの人々が川を大切にし、川と共生してきたかが理解される。それは現代に生きる我々のみならず未来につながる教訓である。」
これはとても大事なことだと思う。アイヌの言葉の伝承も大切である。同時に「アイヌの人々」を「先人」に置き換えて、地名を大切にしたいものである。1960年代の都市の大規模開発・造成によって地名が無残に捨てられ、また平成の自治体の大合併で合成地名・トンデモ自治体名が生まれたことは、国の施策の残念な末路であると私も思っている。