Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

癖の矯正の困難さ

2022年11月24日 17時30分11秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 一昨日に続いて本日も杖を使わずに出かけた。本日はみなとみらい駅までの往復と途中で横浜駅で降りて、所用のため4箇所ほどをぐるぐる回った。杖を使わずに無事帰宅。
 しかし杖を使わずとも、普通に歩くのが難しい。理由は二つあった。杖を手放して不通に歩けるようになるまでにとても時間がかかることを自覚した。
 一つは、人混みではやはり怖さが先に立つ。横浜駅の地下街など人が多いところでは、小回りやとっさの立ち止まりが難しいので、杖を使わないとスマホ歩きや子どもだけでなく大人の不規則な早足・駆け足が怖い。そのようなところではつい壁やショーウィンドウにすぐに手をつけるところを歩かざるを得ない。
 ところが地下街などでは、横道から人が急に出てくるので、四つ角ごとに人が飛び出てこないか見極めながら歩くことになる。歩く速度が杖を突いているときよりも遅くなっている自分に気がつく。
 二つ目は、階段などで手摺りを使うと、足を引きずる動作に無意識のうちになってしまう。過剰に痛みに対して防御の姿勢を取ってしまうのである。そしてその足を引きずる動作のまま平らなところでもしばらく歩いてしまう。
 足を引きずる動作が癖になってしまっているのである。
 この二つの状態に本日気がついた。これは痛みではなく、杖を突いて歩くときの癖が身についてしまった結果であると思う。癖というのはなかなか直しにくいものである。1年かかって身についた癖を直すのはかなり意識的にならないと元には戻らない。

 「癖」の問題とは言い難いが、私は小さいときは左利きで、当時5歳になって浄土宗系のお寺の経営する幼稚園で厳しく強引に左利きを矯正された。何しろお昼のお弁当を右手でないと食べさせてくれないのである。通い始めのころはお昼を食べさせてもらえずに帰宅したことも多かった。右だ、左だと頭ごなしに叱られて、頭が混乱していた。
 今にして思えばずいぶん乱暴なことをされたと思うが、小学校を卒業するまでハサミやクレヨン、理科の実験道具は左手を使用していた。それでまた小学校の高学年の時には教師に「利き手の右手を使え」とずいぶん叱られた。これもいやな思い出である。右手と左手は意識しないと区別がつかなかったのがとても苦痛であった。

 こんな経験があるので、身についたものを元に戻すことの困難さは考えただけでもため息が出てしまう。
 杖を突いて歩いてきた1年間の癖が元に戻るのは、それと同等の時間が必要かもしれない。

 



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