Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「こんな静かな夜」(長田弘)

2022年02月14日 20時42分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 久しぶりに長田弘の詩を読んだ。「死者の贈り物」という表題のように「死」を大きく自覚した詩が並ぶ。日々の起居のすぐ隣に「死」が座っている日常を平易なことばでつづっている。
 2003年の発刊なので、詩人が60代前半の作品である。自分と比べると60代前半でこのように死が近しくは感じなかった。しかし70歳を超えて、きわめて親近感があり、そして共有できる思いが綴られている。
 1編1編、じっくりと味わいたいと思う。

 引用した詩「こんな静かな夜」は2番目の詩。「いつのときもあなたを苦しめていたのは、/何かが欠けているという意識だった。/わたしたちが社会とよんでいるものが、/もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、/みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。/わたしたちは、何をすべきか、でなく/何をすべきではないか、考えるべきだ。」に惹かれた。特に「何かが欠けているという意識」、これがわたしを突き動かしてきた意識であると同感した。20代からわたしを突き動かしてきた観念、いろいろな表現や思想・言葉があるが、そんなものは煎じ詰めれば「欠けている何か」をひたすら追いかけてきた、と言ってしまえばそれで終わってしまうものでしかなかった、という諦念に近い思いが頭をもたげている。

 こんな静かな夜

先刻までいた。今はいない。
ひとの一生はただそれだけだと思う。
ここにいた。もうここにはいない。
死とはもうここにいないということである。
あなたが誰だったか、わたしたちは
思い出そうともせず、あなたのことを
いつか忘れてゆくだろう。ほんとうだ。
悲しみは、忘れることができる。
あなたが誰だったにせよ、あなたが
生きたのは、ぎこちない人生だった。
わたしたちとおなじだ。どう笑えばいいか、
どう怒ればいいか、あなたはわからなかった。
胸を突く不確かさ、あいまいさのほかに、
いったい確実なものなど、あるのだろうか?
いつのときもあなたを苦しめていたのは、
何かが欠けているという意識だった。
わたしたちが社会とよんでいるものが、
もし、価値の存在しない深淵にすぎないなら、
みずから慎むくらいしか、わたしたちはできない。
わたしたちは、何をすべきか、でなく
何をすべきではないか、考えるべきだ。
冷たい焼酎を手に、ビル・エヴァンスの
「Conversations With Myself」を聴いている。
秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
ここにいた。もうここにはいない。



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2 コメント

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思い出す (通りがかり人)
2022-02-15 05:04:36
母の写真を見ながら、ひとりの時、さっきまで居た人が居ないことの不思議というか、あいまいさというか、不確かさというか、あてどない気持ちにさせられる。頼りない世界を漂っている。

 1時間半近くかけて、7400歩前後をここ数日歩いています。脚に筋肉がついてきた。昨日などは、氏に負けぬくらい、高速?で、歩けた。心もとないが、うれしい。オムロンで、使い方が、簡単。
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通りがかり人様 (Fs)
2022-02-15 19:50:17
高速ウォーキング、うらやましいです。
運動して汗をかきたいな。
すくなくとも桜が咲くまでは私はとてもとても無理のようです。
私の足の筋肉は縮小する一方。悲しいです。
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